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続・ ちょっといい話

d0065558_561188.jpg 最初のセッションのあと、凄く行動に変化があった女の子の話の続編。

セッションを始めて数回は、基本的に、ピアノの前に一緒に座って歌ったり、ドラムを叩く、ということをしていたのですが、

ある日、木琴、ウインドチャイム、トーンバーをセッションに初めて取り入れたとき、彼女は1つづつそれらの楽器を試していました。例えば、木琴を少しの間弾いて、それが終わったら、マレットを元の場所に片付けて、それから、次の楽器に移る。ランダムに色んな楽器を弾いたり、同時に違う楽器を演奏する事はありませんでした。

彼女のお母さんによると、このパターンは食事をするときと同じなのだそうです。1つのお皿を食べ終えてから、次のお皿に移る。日常の行動パターンがセッションルームで、楽器との関わりの中で明確に現れた、という点がとても興味深かったです。

次のセッションでは、彼女はそれらの楽器をランダムに弾きました。彼女の食事のパターンが変わったかどうかは未確認なのですが、彼女が音楽の中では、日常の行動パターンの鎖から自由になってきているような印象を受けました。今まで培った自分自身の音楽を作り出すことに対する自信や、新しい楽器への興味や、やってみたい、という欲求が、それを可能にしたのかもしれません。彼女が色んな楽器を次々とランダムにトライしている時、彼女の音楽の色彩は、以前のそれと比べ、よりカラフルで、ダイナミックでした。

その後も、色んな楽器をランダムに弾くことに抵抗を感じている様に見受けられることもありましたが、それは、彼女にとって新しい行動パターンなので、当たり前の反応だろうと思います。

彼女は、音楽の中で色々試しながら、自分自身がどう感じるか、音になって自分に関係してくる音楽とどう関わっていくか、探っている過程にいるのだと思います。

彼女が、予期しない状況に対してどう対応するか、を音楽を通じて練習できるのは、素晴らしいことだと思います。予期しない状況に遭遇しても、それは彼女をノックアウトしないことを体で、心で体験することが出来ますし、予期しない音の反応や、それに対する自分自身の感情にうまく対応する体験を音楽の中で重ねることによって、彼女自身の自信がはぐぐまれていくと思います。


私とのセッションを始めた頃、彼女の表情はどちらかというとあまり変化がありませんでした。(もしかしたら、それが彼女の新しい状況や関係に対応する方法の一つなのかもしれませんが)わたし達がピアノの前に座り、歌い、ピアノの音を出している時、微笑んだりはしましたが、彼女の体の動きはあまりありませんでした。セッションを重ねていくうちに、彼女はもっと笑うようになったし、どう感じているか伝えるようになりました。例えば「(音楽するの)たのしい」「(ゴングの音が)こわいです。」そして、楽しいときは楽しい表情を、怖い時は怖がっている表情をするようになりました。

彼女が自分が今どう感じているか、という事に注意を払い、認識し、それを言葉で伝えることが出来るようになってきている、というのは素晴らしい変化だとかんじています。


また、ある日は、怖いゴングから、他の楽器をピアノの近くに総移動させて、ゴングから離れ、自分の安心できる空間を自主的に作りました。これは、彼女の「自分で状況をかえることが出来る」という自信の表れだし、いつもいつも「こうしなさい、こうしちゃだめ、嫌でもがまんしなさい」という人間関係のほかの関係もあるんだ、というのを私との関係から学んだのだと思います。もっと色んな人との関わり方があって、自己主張してもいいし、周りに認められる自己主張の仕方(突然ヒステリックになったり、引きこもったりするのではなく)があるんだ、って感じたんだと思います。

彼女が、世界は 従うものではなく、自分で作っていけるもの、と感じるようになり、自分に自信をもって生きることをもっともっと楽しく感じられるようになるといいな、と思っています。
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by totoatsuko | 2006-03-31 05:22 | 音楽療法セッション例 | Comments(0)

セッションの長さ

d0065558_4541239.jpg子供との個人セッションの長さはどれくらいが適切か?というのは、新しく始める子供が来る時に、保護者の方と話しをする内容の一つ。親と子供とセラピストの思惑が交錯する事柄の一つです。

セッションの長さは、その子の状態、ニーズと、セッションの目的によって変わってくる。長ければいい、ってものではない。

だから、最初のセッションは、アセスメント(診断 と訳すのかな?)、子供を知るためのプロセスに重点をおく。

30分、というのが私の中では、一区切りになる数字なのだけど、それよりうんと短いときも、もっと長い時もある。

以前、ちょっといい話、という題で書いた女の子の最初のセッションは10分でした。その後もっと短い時も、すこしだけ長くなった時もありました。10分って短いようだけど、それはわたし達の「主観」であって、彼女が丁度よいとおもう時間が10分だったら、そうするべきなのです。

他の子供で、セッションにきはじめた頃は40分くらいやっていたけれど、回を重ねるにつれて、20分で「おしまいにしよっか?」と言うようになった子供もいます。


お金を払う保護者の方にしてみれば、同じお金を払っているのに、いつもより短い時間でセッションを終わられたら、損した気分になられる方もいらっしゃるようなのですが、そして、そういう気持ちをもたれている場合、おっしゃらなくても伝わってくるものですが、

セッションは長ければよかったり、毎回きっちり時間通りやることが大切じゃないことがあることを理解してもらえたら、と思っています。

また、音楽療法士は、何が自分が感じている保護者の方からの期待や自分が主観的に感じているプレッシャーは何なのかを、はっきり見極めると共に、セラピストとして、セッションの目的が何なのか認識し、適切な判断、行動をとることがとても大事だと思っています。

時給のバイト とは違うんだから。

こんなに短く終わったら保護者の方に対して悪いな、という理由だけで、ダラダラ子供を部屋の中に引き止めてしまう、その気持ちは分からないでもないけれど、子供のセラピストとして、子供にとってよい事をする決断をしてほしいと思っています。
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by totoatsuko | 2006-03-31 04:54 | 日々感じたこと | Comments(0)

シャーマニズムと音楽療法

若尾裕さんがシャーマニズムと音楽療法についてmusic therapy onlineでコメントしてることに対して、

わたしもコメントしています。
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by totoatsuko | 2006-03-15 00:50 | Comments(2)

ワークショップ、クリエイティブ・アーツ・セラピー国際会議

d0065558_12234437.jpg私の友人が企画している体験型の音楽療法ワークショップ@大阪 4月15.16.(定員20名)と

同じ内容のもの@広島 5月20日午後 (定員30名)


おそらく私も発表する事になろうクリエイティブ・アーツ・セラピー国際会議@東京 10月7.8.9のご案内です。

くわしくはこちら
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by totoatsuko | 2006-03-15 00:10 | 日々感じたこと | Comments(3)

スパイラル2

d0065558_13251027.jpg強調したい事は、クライアントがあなたを拒否しても、それは必ずしもあなたが悪いことをした結果ではないということと、クライアントとの関係に何が起きているか常に客観的にとらえる重要性だ。

クライアントと関係がどうなっていくかは、セラピストが仮説は立てれるけど、期待するものではない。

セラピーはいいものであるはずだから、常に少しでもクライアントがいい経験をし、セラピストや、その音楽との距離も深まっていく、なんていう考えや希望は、おかしなものだ。

だって、ほら普通の人間関係を考えてみて。
関係が深まったかと思えば、スパイラルの逆ほうこうに進んで、距離ができたりもする。
それが、「関係」が生きている証拠。
そうやって行ったり来たりしながら、生と死をくりかえして、関係という「生き物」は当事者が知らないうちに成長していっているものなのだ。

セラピストが、その生き物に飲まれてしまってはらちがあかない。
どんな難産でも、難しい時期でも、関係が死に絶える(実際の死だけではなく、象徴的に)ときでも、どっしりと地に足をつけて、その関係に関わっていられるだけのものを持っていなくてはならない。

自分がやっていることや自分の存在、音楽を、善 とか 悪とかっていう単純で主観的な捉え方をするのではなく、今、そこで、クライアントとの間で何が起こっているのか、自分はその過程・関係のなかで、どういう役割や意味合いを持っているのか、全身を研ぎ澄まして感じ、客観的に捉え (このためにはスーパービジョンが欠かせない)、目的をもったかかわりをしてくことが大切だと思っている。
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by totoatsuko | 2006-03-14 13:25 | 日々感じたこと | Comments(0)

スパイラル 1

d0065558_1464125.jpg同じ人を長く見続けていると、その関係の色合いが変わってくる。

付き合い始めた頃の新鮮さが感じられなくなって、相手に対してドキドキしなくなったから、もう別れよう、といえないのがセラピストークライアントの関係。

というよりは、クライアントとの関係に、常に深まっていくことを求めているのが、間違いなのだ。
関係は色んな色合いに変化していくもの。相手に対する感情も、関わり方も常に変化している。
自分が仮定するものを求め続けていたら、目の前にいる相手を見失ってしまうし、その結果関係は破綻するだろう。

関係は、言ってみればスパイラルをたどっていくように変化していく。
出会いがあって、お互いを知ってく過程があって、その発見に一喜一憂し、そして終わりがある。そして、その過程ではぐくまれた新たな相手の側面を、その過程で変化した自分が受け止め(新たな出会い)、よりその発見を知っていこうとし(中盤)、より深く相手の事を知り、関わっていく。そして、また終わりがある。

出会い、中盤、終わり、は円を描いているのだけれど、同じ出会いの局面に立っていても、毎回違うステージに立っている。そう、まるでスパイラルをたどっているような感じ。そのサイクルを繰り返すごとに、その人との関係が深まり、それぞれが個人として成長・変化していく。


例えば
もうセッションを始めて何ヶ月もたち、心の深い繋がりを築いていたアン(仮名)が、もう来週から来なくていい、と言う。それは、彼女の様態が急激に悪くなり始めた頃の事だった。

(こんな事は、しょっちゅうあるから、とくに書き出すこともないと思っていたけれど、ある人が似たような状況に対面して困惑していたので、ここで私のいち体験をシェアしようと思います。)

彼女の心に何が起こったのだろうか?

きっとそれは、今までの自分でない自分を私の前にさらすのが嫌だったのではないかと思う。
病気の進行によって変わっていく、自分の顔つき、体、行動範囲の制限、
ある意味、自分がコントロールできない領域で「自分が自分自身でなくなっていく」プロセスが起こっているのだ。自己の喪失、それは、とてもとても恐ろしくて、腹が立って、悲しい心理体験である、体験した人にしか分からないかもしれないけど。

お化粧をしたり、特別な洋服を着て、自分が望む自分のイメージを作るのとは、訳が違う。

アンはその自分自身の変化:どうなってしまうのだろう、という事に対する恐怖と変それらの感情を抱える新しい自己像を掲げて、新しい関係を私と持つことは、相当な心のエネルギーが必要なのは想像に難しくない。

もう今までのようにアツコに受け答えできない。作り笑いすらできない。
私が、「無理して私のために何かする関係じゃないのよ。私はあなたのそばにいて、あなたとの時間と空間を共有するために訪れているだけなのだから」と言っても、彼女の気持ちは軽くならないだろう、心にひびかないだろう。

何故ならアンは、自分自身の時間や空間が、自分にとってどういうものなのか、その意味を見失っているのだから。新しい自分がアツコとの関係を再構築するのは、そう簡単じゃない。

(相手と状況にも寄るけれど)、そういう時は、クライアントの意思を尊重して、少し距離をおく。クライアントを見失わないように、看護婦さんや家族との連携を大事にしながら。
私との関係だって、音楽だって、いつもいつもポジティブに働きかける万能なものではないのだ。

(続く)
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by totoatsuko | 2006-03-13 14:06 | 日々感じたこと | Comments(0)

流れ続ける音

d0065558_42107.jpg訪問先のベッドサイドを訪ねると枕元でラジオやテレビがオンになっていることがある。
いや、ベッドサイドだけでなく、施設のレクリエーションホールみたいなところも永遠とニュースやお昼のメロドラマが大音量で流れていたりもする。

その結果、入所者さんに、その音にかきけされないように大声で話しかける。何だか命令口調のように聞こえがちになる。

誰のためのTVやラジオなんだろうと思う。
いずれの場合も、入所者さんやベットに横になっている人は、それらの音をコントロールできない状態にあるのだ。見たくもないもの、聞きたくもないものをつねに浴びさせられるほど不快な事はない。もし私だったら、たとえそれが好きな音楽の類でも発狂してしまうだろう。

どんなに美しい音楽でも、どんなにお気に入りの音楽でも、ヒーリングの目的で作られたヒーリングミュージックと名づけられているものでも、ずっと流されていては、何の意味をなさない、、、だけならまだよくて、それこそ害にもなりうる。

音楽のパワーを知っているがゆえに、それが無作為に垂れ流しで使われていることを、真剣に憂う。無知であるからしょうがないといってしまえば、それまでだが、それではあまりにも無責任すぎる。無知なのはしょうがないかもしれない。でも、無知であることに気付くなり、認めるなりして、音楽の使い方に謙虚に慎重になれはしないだろうか。そして、周りを「教育」することは出来ないだろうか。ましてや、もしあなたが「音楽療法士」と名乗っているのなら。

何故テレビやラジオをオンにしつつけるんだろう?と考えた時、
口先では、患者さんのために音を流している、というけれど、実はそこで働いている人たちの 「サイレンス」、音のない状態に対する恐怖が背景にあるのではないか、と思う。

それらのBGMがなかったら、「日常の音」が浮かび上がってくる。自分の話す声 (のトーン、話す速さ等)、体を動かすと衣服が擦れ合う音、足音 (荒々しくあるいているのか、まったりと歩いているのか)など、自分の音のみならず、他のスタッフや入所者さんの「生きて生活している」音がきこえてくる。それらの音は、注意深く聞いていると、その人のその瞬間の状態を表しているのだけれど。

実際深く考えていない人が多いのだろうと思うけど、無意識のうちに、自分の状態を受け止めることや、入所者さんからの訴えをかき消すためにテレビやラジオをつけているのかもしれない。

と言い切ってしまうのは少し過激すぎると思うけど、
音楽=いいもの と簡単に考えて使うのはいかがなものか、と感じています。
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by totoatsuko | 2006-03-01 08:22 | Comments(3)
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音楽療法士(GIM)のつれづれ


by totoatsuko
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