カウンセリング@代々木上原・音楽療法・心理療法 GIM

totoatsuko.exblog.jp ブログトップ

<   2005年 11月 ( 9 )   > この月の画像一覧

あたりまえなこと

d0065558_1635516.jpg世の中にはいろんな人がいて、色んな考え方、生き方の人がいる、

というのは、文部省が“個性”重視の教育を、実行しているかどうかは別にして、スオーガンとして掲げ始めてから、いや、それとは関係なく、もっともっと前から、みんなが知っている。
そう、知識として知っていること。

でも、そのコトバの意味を自分なりに考え、理解し、行動に反映させている人は少ない。
ひとりひとり違う、と口ではいいつつ、自分の基準で他人の行動や考え方を評価して、"良い” “悪い"のレッテルを貼る。

ひとつの社会、グループとしてまとまりを持つには、そのグループとしての柱となる理念やルールは不可欠なことだけど、

音楽療法士とクライアントの間では、それは大して意味をなさない。

クライアントにとって、何が大事で、本人にとってどういう意味があるのか、
そこを理解しようとしなければ、話が始まらないのだ。

例えば:
30分のセッションの内、ほんの10秒だけ、私と目をあわせながら音楽を共に作ることが、ある日突然できた自閉症の女の子。よく知らないセッションルームによく知らない人(私)と二人きりにさせられたために泣き叫ぶセッションの繰り返しの中から生まれた、その瞬間。

この女の子にとって何があたりまえで、何が大事なことなのか知らなかったら、この10秒の出来事に、何も意味を見出さないだろう。というよりは、簡単に見逃してしまうだろう。

自閉症の人にとって何が当たり前で、何が難しいことなのか。
自閉症の特徴のひとつに、他人という概念があまりない、ひいては、誰かと話したりコミュニケーションをとったり、自分を表現する、という概念がない、というのがあげられる。

そういう人の、この10秒の意味は?

短くいってみれば、
他人がいる、という理解
自分が置かれている状況、環境への興味と理解 
ひいては、自分はこういう声のトーンで泣き叫んでいるんだ、という自分自身に対する理解 
見ず知らずの人とかかわるにあたって克服する“恐怖”“不安”
コミュニケーションをとることへの興味が内面から生まれること

そして、彼女が10秒の奇跡に出会うにあたって、どんな心の旅を必要としたのか?
途方もないプロセスだったかもしれない。

これは、自閉症の子供とのケースだけではなく、どのクライアントと接するときにも当てはまる。

多くの人にとっては些細な、あたりまえなことでも、本人にとっては努力の結晶だったり、
内面の奥深くにひめられたものが、ふっと私と音楽との関係の中で出てきたものだったり、
そういうものを、見逃さず、聞き逃さず、反応し、引き伸ばす手助けをするために
私は全身全霊を傾けてセッションをしている。

また、セッションを録画し、繰り返し見返すことによって、セッションの瞬間逃した貴重な瞬間や、自分自身の言葉、音、行動をより客観的に判断することもできる。  

クライアントの変化の過程を促すのに、社会や私にとって“当たり前”なことを押し付けることは、まったく意味をなさない。
クライアントが、何を感じ、どういうたたずまいをしているか、そしてそれが本人にとってどういう意味を持っているのか、どの方向に向かっているのか。この内面の旅を共にする私は、自分自身の中心を失わず、クライアントの世界にどこまで近づけるか、彼らの視点で世界を見ることができるか、ということが、とても大切になってくる。

言葉の無い発達傷害の子供が泣き叫べば、一緒に泣き叫んでみる。
″泣き叫んでいる”というのは、“私”の解釈であって、その子供にとってみれば、自分自身が使える言語、あるいはコミュニケーションをするための道具であるかもしれないのだ。
ならば、自分がコミュニケーションの道具として使っているニホンゴやエイゴを使ってなだめるよりは、その子供が使っている言語を使ってその子供と接してみればいい。

そうすると、その子供の気持ちや、体が感じる疲労感など、より理解できるし、
子供も、自分の使えるゲンゴを否定するのではなく、むしろ真似しようとしている人の存在を、新鮮に体験するだろうし、それは、その子供が私とかかわってみよう、とおもう強い動機となる。

誰しも、自分自身を理解し、共感し、肯定してくれる人を必要とするし、
そういう人といると、心地よい

d0065558_243868.jpgあたりまえなことー
それは人それぞれちがう。
分かっていても、その違いに対して自分がどう受け止めているか
その違いにどう接するか、というのは別問題である。

クライアントにとって、それがどういう意味を持つのか、
音楽療法士が、自分の基準に惑わされず、セッションで起こったことを客観的に判断してくことは、意味あるセッションをするために、とても大切なことなのだ。

P.S ブログに掲載しているセッション例は、本人が特定されないよう、事実から差し支えない程度に変化させていることをお断りします。
[PR]
by totoatsuko | 2005-11-29 04:16 | Comments(3)

Thanks Giving

d0065558_212435.jpgアメリカでは、サンクスギビング (日本では”収穫祭” と訳されているみたいです)が明日からはじまります。

日本のお正月みたいな感じかな、家族があつまって、サンクスギビング料理(=七面鳥)を食べる、という点で。


Happy Thanksgiving!
[PR]
by totoatsuko | 2005-11-24 02:12 | Comments(0)

グリーフカウンセラー (Grief Counselor)

d0065558_4461213.jpgうれしかったこと。

昨日、The American Academy of Grief Counselingから、Grief Counselorの資格の認定をいただきました。

Grief counseling (グリーフカウンセリング)という資格は日本ではないようですが、私が会員になっている、日本死生学学会、の学会誌には私がグリーフカウンセリングのドクターコースで勉強していることと似た分野の内容が掲載されているのをみました。

グリーフカウンセラーの役割は、本人、家族が関わる町のコミュニティーや、社会への働きかけです。なぜなら、家族、町や社会単位の様々なサポートが、死を取り巻く人達にとってとても大切な要因でもあるからです。


私の知っているアメリカでは、Grief Counselorは、病院、ホスピスで専門職として雇用されています。仕事の内容は、主に死を目の前にしている人とその家族、大切な人を失った人の心のケアです。

一言に”死”といっても、色々あります。
自殺、殺人、事故、病気、流産、中絶。

これらをとりまくのは、様々な”喪失””変化”。それは人の心に大きな葛藤を生みます。
大切な人の失い方によって、また、その人との関係によって、その”喪失”から受ける影響は全く変わってくる。

日本では、こういうことはとてもパーソナルな事なので、専門家を立ち入らせる余地がない雰囲気ですし、これまでは、何かと人のサポートシステムが機能していたのだと思います。しかし、核家族が進み、地域との関係も昔と比べて変化してきています。専門家が関わる事が必要なケースも増えてくるでしょう。


この分野を学ぶ事で、心が感じる”喪失””変化”について、少し洞察が深まりました。
なにも”死”に直面しなくても、私達の人生は、変化(=古いもの喪失と新しいものの受け入れ)に満ちている。

幸せな結婚をしたつもりだったけど、それによって生まれた”束縛””役割”などによって、独身というアイデンティティーを捨て、既婚者という新しい自己アイデンティティーを自分なりにつくっていかなくてはならない。障害のある子供を持つことによって、自分が描いていた家族像を修正しないといけなかったり、自分自身が事故にあって、障害をもち、描いていた人生とは全く違う道を歩まなくてはならなかったり、夢を諦めなくてはならなかったり、加齢によって変わってくる家族、会社、社会での役割の変化にある日ふと気がついて、受け入れられなかったり。

例えば、補助がないと食事ができなくなってしまったお年寄りの心。
どんなに歯がゆいか、想像した事がありますか?
ながいながい人生を一生懸命歩み、一人前の大人としての自信とプライドを持った人が、若い介護士に助けてもらわないとスプーン一つ口に運べないなんて!
どれほど沢山のものをこの人は失い、それを心の内にためているか。当たり前、と期待・認識している事が出来なくなってしまう事の悔しさ、いきどおり、あきらめ。


グリーフカウンセラーとしての学びを、音楽療法士としての深みにつなげたいと思っています。
[PR]
by totoatsuko | 2005-11-19 04:16 | Comments(1)

ある霊気体験者の感想

d0065558_1421445.jpg霊気では、霊気を受ける人はまず仰向けに寝転がります。多くの場合目を閉じますが、あけていけも構いません。

霊気を仲介する人は、頭、上半身の胸側、足、背中にあるきめられた位置 (それぞれ4箇所くらい)に両手を置き、霊気を仲介します。一通り手を定位置に置き、プロセスを終えるのに1時間半ほど、かかります。

ある人が霊気セッションをおえて私に伝えてくれたのは、
私の手がその人の頬を包んだ時、今まで何年も思い出したことがなかった、昔育ったアメリカの田舎の大きな木下で友達と遊んでいるシーンが思い浮かんだ。。。とても懐かしい気持ちになったとともに、わき腹がとても温かくなった。

この例で言えることは、霊気はエナジーワークで、肉体に触れて行なわれるものだけれども、肉体と、心と、魂はつながっているし、霊気はそういう深いところに働きかけるので、セッション中に強い感情や、記憶がよみがえってくることもあるのだ。

もう一人の方は、
しばらくの間つま先に強い痛みを感じていたけれど、それは、なにか強いエネルギーがそこに送られているようだった。少しすると、足に流れているエネルギーの均衡がもたらされ、痛みは消えていき、霊気のセッションの前に足が感じていた不快感は取り払われていた。

私は、特に足にエナジーを送ったわけではない。体が必要なものを知っていて、私の手を通じてバランスをとるように体自身がこのように反応したのだ。


***
私が霊気を学ぼうと思ったきっかけは、音楽療法士としてやっている過程で、目に見えないエネルギーの流れによりセンシティブになる必要性を強く感じたからです。私たち人間はエナジーシステムですし、木、水、火、風、空気、落ち葉、全てにエネルギーが流れている。

ふっと人が部屋に入ってきた時変わる空気のダイナミックス。目の前にいる人がもっているエナジーは、流れているのか停滞しているのか。その人の持っているものを引き出すお手伝いをしている音楽療法士としては、また、音楽という目に見えないものを扱っている者としては、こういうことによりセンシティブであれることに越した事はない。

また、私の音楽療法士としてのスタンスと霊気の働きが、とてもよく似ている。
音楽療法士として心理療法を行なっているとき、私はクライアントに、こうする方がいい、とか、貴方はこうでしょう、と決め付けることはしない。クライアント本人が、自分の内面ですでに知っている答えや、ヒーリングエナジーを最大限活用できるお手伝いをする。

霊気を送っているときも、何かを送って悪いところを直す、のではなく、私の手がユニバーサルエナジーとクライアントを仲介することにより、クライアントが心や、体の崩れたバランスをとるために必要としているエナジーを取り込むお手伝いをする。。
[PR]
by totoatsuko | 2005-11-13 14:19 | 霊気 | Comments(0)

Reiki: 私の霊気の先生との対話

d0065558_13563192.jpg ボストンの秋も深まり、本格的な冬がやってきそうななか、13度と暖かい土曜の昼下がり、チャールズ川にかかる橋をわたりながら撮った一枚。

今日は、先日Meditation to one gentleman's deathので紹介した内容のなかで行なった霊気について、私の先生とE-mailでかわした対話を皆さんと分かち合いたいと思います。

Atsuko wrote:
...Today, I am e-mailing you since I have a wonder regarding Reiki.
One of my clients passed away last week. He had gone while I was doing a session with another client.

I visited his bed, uncovered white sheets and say good bye to him.
There was no one beside him. No family no staff.

On that night, I meditated to him. That was a part of my closer process.
During the meditation, I felt so close to his soul, I decided to send Reiki to him. therfore, I asked his permission, and my hand strongly vibrated.
Throughout the Reiki process, my hands felt strong vibration.

I wonder what it is. Well, thinking back, sending to Reiki to a deceased person's body sounds strange, but at that moment of meditation, I felt it right to our connection.

What would you say about the strong vibrations that my hands felt? What would you say about what I did?


My teacher wrote:
I think that wonderful things are happening with you and Reiki. It is very appropriate to send Reiki after someone dies, particularly to someone with whom you have been close. Sending Reiki can become part of your closure process with an individual as you work in Hospice. The strong vibrations in your hands are an indication that you are developing a stronger bond with Reiki, and in the case that you wrote about, the vibrations may have been an affirmation to you.

****
霊気は目に見えないし、なんだかアヤシイと思われるというのは一般的な反応ですし、実際私も少し前までは、まやかしの変なものという認識だったので、多くの人のそういう反応はとてもよく理解できます。いかがわしいと思われるから、”霊気療法士”なんていわないほうがいいよ、とアドバイスしてくれる人もいます。私自身も未だに、自分と霊気のコネクションをつかみきれていない、というのが正直なところですが、、霊気を信じているし、自分の信じている事を誠実に伝えていけば、理解したり興味を持つ人も増えていく、と信じて、これからも霊気の体験をこのページに記していこうと思います。

霊気のみのセッションに興味がある方はおしらせください。
[PR]
by totoatsuko | 2005-11-13 13:51 | 霊気 | Comments(1)

通勤とピクニック

d0065558_8333811.jpg”セラピーのプロセスは、目的地に着く事が目的である通勤ではなくて、歩く事に意味を見出すピクニックだ。”

NYUのある授業でKeneth Aganが言って、納得した一言。

私たちは、結果を出す事、何か目に見える変化を生み出すこと、計算をして正しい答えを出す事、目的地に時間通りに到着する事が大事だという概念をもって、日々生きている。テストでいい点をとること、人と比べて優れている事が、よいことだと、教えられる。

間違っている事は、直すように努力をするように教えられる。
でも、誰がそれを”まちがい”と決めたのか?
社会、親、先生、家族、友達にとってまちがっていても、自分にとっては正しいことは沢山ある。
あるいは、自分にとって正しいかどうか考える・感じる時間を持たないまま、外部に言われるとおり、外部の"正しい”という概念にあわせるよう、大部分で生きている。

だから、Q&A 6 で紹介した疑問がわいてくるのも理解できる。
自分の状態を知って、どうなるの? 何が変わるの?自分を知ることにより、周りの期待とのギャップをより感じて、辛いだけじゃないか?


私も似たような問いをまさぐっていたので、Kennethが、セラピーをピクニックに例えた時は、”なるほど!”とやっと合点がいったのを覚えている。


通勤する時は、いかにその目的地に予定通りの時間に到着する事が大事だと思っている。
満員電車に揺られたり、タクシーに飛び乗る事に、なにも意味を見出さない。出来る事なら、そのプロセスをかっとばして、どこでもドアで一瞬にして、目的地に着ければ、と思う。


かたやピクニックは、何処かに行く事が目的ではない。
お弁当を持って、その道のりをたのしむものだ。
足元に咲いている草花、その道で行きかう人々との交流、時間によってかわる風や太陽、汗ばむ体、乾いた喉を潤す冷たい水。疲労感。

ピクニックにいったからって、”よくやったね”というような外界からのいたわりや、奨励はもらえない。遅刻しなかったから罰則を逃れる、というものではない。
周りに認めてもらうためや、周りの規範に合わせるためのプロセスではないのだ。

でも、人はピクニックに行く。d0065558_8341050.jpg
それは、人生を潤す。
ピクニックに何度か行ったからって、お給料が上がるわけでもなく、誰かから褒められる事もない。
それでも、ピクニックの経験は、心に残っている。
心の安らぎ。新しい人との出会い。普段かがない、草花のかおり。自分の足がやわらかい土をふむ感触。それは、長期的に、人生に影響してくる。

もしかしたら、道端でみつけたキノコに魅せられて、その道を歩む事になるかもしれない。
出会った人々との暖かいふれあいが、今まで感じていた人間不信に変化をもたらすかもしれない。
日常いらいらした時に、ピクニックできいた小川のせせらぎを思い浮かべれば、心に静けさを取り戻す事ができるかもしれない。


セラピーは、そういうピクニックに例えられる、と私は思う。

人生が、”死”という目的地をめざして通勤しているのではなく、その瞬間瞬間をいつくしむものであるのと同じように、セラピーは、そのプロセスで自分が感じていることをめいっぱい感じ、それを探っていゆき、自分の人生をより豊かにするものだ。

勿論、人生をいつくしむどころか、辛くてもうこんな人生はやめて”死”に早くたどり着きたい、と思っている人も沢山いるだろう。

d0065558_8335310.jpgそういう人こそ、セラピーに行ってみて欲しい。歩くプロセスを楽しむヒントが見つかるかもしれない。見落としていた、美しい風景や心休まる人との出会い、自分自身がもっている、美しいものに、きっと出会える。


障害を持った人も、同じことがいえる。
障害がない人が作る社会の決まり、文化の中で生きていくのは、いろいろ大変だ。でも、セラピーの中では、それがない。通勤する会社もなければ、到着しないといけない決まった時間もない。ピクニックを、自分の人生を思う存分楽しめばいいのだから!
[PR]
by totoatsuko | 2005-11-07 07:59 | Comments(0)

Q&A 6.どうしてセラピーにいくの?

6.どうしてセラピーにいくのでしょうか?

言葉だけを使ったセラピーにいっていらっしゃる何人かの方に尋ねられた。

「セラピーに行って、自分が気づいていなかった感情に気付くのは分かるけど、それって、とても辛い事。知ってどうするんだ、って思う。
知らなかったほうが楽だったのに。」

「自分の中の怒りを知って、どうやったらそれをコントロール出来るか、ってセラピストと一緒に考えても、腹が立つものは腹がたつ。実際日常で、かーっと来た時は、セラピーのセッション中に発見した怒りの原因なんかふっとんで、怒りを抑えられない。抑えるべきだってわかっていても。」

More
[PR]
by totoatsuko | 2005-11-06 06:48 | Q&A | Comments(0)

Meditation to one gentleman's death II

d0065558_22391.jpg

帰りの車の中でフォーレのレクイエムをかける。
私なりのジャックとのお別れの儀式の一つだ。

11月上旬のボストンにしては暖かい、やわらかい日差しの午後、
彼のこの人生は閉じた。

(私は、魂は何度も違う体をもって生を歩む事を信じているので、あえてこういう書き方をする。)

やわらかいソプラノの声が車を満たす。

何故か永遠の別れと感じない。
前方に広がる秋のそらにジャックの魂がいるような気がする。


その夜、ジャックを思い、メディテーションする。
彼と笑った瞬間を思い出す。

私の体がバイブレーションで満たされていくのを感じる。
私は、もっともっとその中に入っていく。
体がどのようにバイブレーションを感じているのか、そのバイブレートしている体は、胡坐をかいているこの部屋とどう関わっているか。


もう、会えないね。でも、魂のレベルでは会える。

死は、悲しい。もっともっと激しい感情だって呼び起こす。
でも、私は知っている、それが私たちの関係の終わりを意味していない事を。

とぎすませば、ほら、いつでも会える。
[PR]
by totoatsuko | 2005-11-06 02:14 | Comments(0)

Meditation to one gentleman's death I

今日、施設にいったら、ジャック (仮名)がいつもいる場所にいない。
おかしいな、と思いつつ、他のクライアントに会いに行き、セッションをする。

それを終えて、看護婦さんに聞く、
ジャックは何処?
>え?ジャック? 彼は死んだわよ。

え?なくなった?いつ?
>ほんの10分前。

会いにいってもいい?
>勿論。Please.


初めて彼の部屋に入る。何故なら、彼は、自分の6人部屋にいるのが嫌いだったからだ。
彼は、窓際の日が差し込むベッドに横たわっていた。ひとりで。
白いシーツにすっぽりと頭まで覆いかぶされている。

ジャック、名前をよびながら私はゆっくりとシーツを腰の辺りまでめくる。
ひかりをあびて、白い顔が、よけい白くみえる。

彼の目はうっすらとあいていた。
口も、何かを訴えているように大きく開いていた。

私は、まだ彼の魂がその体からぬけきっていないように感じた。
まだジャックはそこにいるような気がした。


10分前にいってしまったなんて。。。
そのとき私は、もうこの施設について、いつもと空気が違うことを感じていたのに。
最初に探せばよかったね、ジャックの事を。
それとも、一人で逝きたくて、私を先に他の人の所に送ったの?

家族は呼ばなかったんだね。
先週あったときは、そういえば家族の話をしたよね。

これは私のエゴだけど、
出来る事ならあなたの、この肉体と共に歩いた85年の人生の最後の瞬間を共にしたかった。

でも、ありがとう、こうしてお別れを言うチャンスを私に与えてくれて。
もっと時間がずれていたら、私たちはすれ違っていただろうから。

もしかしたら、私たちは無意識にこうする事を知っていたのかもしれない。
ジャックは私が今日この時間に来る事を知っていて、私の魂も、この事を知っていた。

ジャック、またあなたの魂はここにいるのを知っている。
目には何も見えないけれど、私は、感じている。

お別れを言うね。まだ、少し手はあたたかいね。
本当に短い間だったけど、あなたと出会えてよかった。
口数はすくないあなただったけど、一つ一つの言葉から、色んな事を感じ取った。

あなたの微笑み。話し方。私の頬をいとおしそうになでるやわらかい手。

さようなら for now.
またいつか、どこかで出会うかも。

さようなら.
[PR]
by totoatsuko | 2005-11-06 01:27 | Comments(0)
line

音楽療法士(GIM)のつれづれ


by totoatsuko
line
クリエイティビティを刺激するポータル homepage.excite