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カテゴリ:GIM:音楽と深層心理イメージ( 49 )

どのくらいの頻度でセラピーに行く?

d0065558_19554568.jpgどのくらいの頻度で通ったらいいですか?何回くらいが目安ですか?

と聞かれることがある。

いつもこんな風に答えている。

個人差はありますが、だいたい10セッション1クール というイメージです。
10セッション当たりで、自分の問題に気づき、向かい合い、取組み、深め、新しい自分へ一皮かれてきます。

ただ、1クールはあくまで1クールで、どの程度変わりたいかにより、
何クールやりたいか、というのは変わってきます。


次に頻度ですが、もし心のプロセスを深めたいなら、
1か月以上は間隔をあけないようにお願いしています。

1か月あいたら、
セッションのなかで気づき始めた自分が向かい合いたくない事実から 
”逃げる” ”目をそらせる” ”別の話に作り替える” ”気づく前の自分に戻る”
というプロセスがどうしても起きてきがちです。


ですから、セラピーに来るのは毎週でもいい訳です、必要であれば、そして必要な場合は。
2週間毎 というのが私の所に来ている方の中ではよくみられる頻度です。


例えばピアノのレッスン。
初めてピアノを習う場合、(あるいは他の初めて習う事、何でもいいです、想像してみてください)
月1回レッスンにくるのと、毎週来るのでは、上達や理解のカーブが違います。

同じ曲を弾けるようになるのには、
毎週通えばレッスンに来る方がより効率的に積み重ねられますが、
月1回だと、必ずセットバックがあるので、
結果的に毎週通った人よりも多くレッスンを受けないとひけるようになりません。

なにせ ”初めて” やることですから、
レッスンとレッスンの間にどういう風にすごしたらいいかさえ分からない状況なので
サポートがないとできるようにならないのは当然です。


もう基礎が出来ていて、自分が習いたいものが明確で、自分の練習の仕方も確立していれば、
上に説明したレッスンの頻度と上達の関係性とはまったく別のストーリーです。

セラピーを2クール以上やった方は、
ある程度自分の心との向かい合い方を習得されているので、
その後は、自分が必要と感じた時にご予約をいただく、
という形でセッションを利用していただいています。






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by totoatsuko | 2017-03-27 14:21 | GIM:音楽と深層心理イメージ | Comments(0)

何故 自分を知らないといけないのですか?

d0065558_1820810.jpg
音楽心理療法 にいらっしゃる方の理由は 
その人その人で違います。

今の状況が辛いから どうにかしたくて

自分がどうしたいのか分からなくなって

自分の望ましくない言動を変えたくて

そんな中で、あるパターンをご紹介。

自分の置かれている状況があまりにもひどくて、つらい。
自分は(少しは原因に関与してるかもしれないけど、基本的に)悪くないのに、みんな頭がくるってる。
自分が属しているグループの人達(例えば、家族、パートナー、会社、習い事のクラス)は自分を分かってくれない。
あの人達に天罰がくだればいいのに。
あの人達に何か悪い事が起きればいいのに。


こんな感じの どうしようもない思考の吐露。
相手に対する怒りとか、妄想とかが頭の中でぐるぐる回って、こびりついてて、自分が消耗していく感じ。
そして、その人達のせいで自分が消耗している事に対して、さらに、その人達に対する怒りがわいてくる。
そして、もっと消耗する、という繰り返し。

ーーー ん~、何だか こういう心情を文章にしていると、
テロリストになった人達の 社会に対する憎しみのようなものに通じるものを感じますが、、、


切々と、その辛い状況を話した後、
では、その気持ち、その事を考えている時の感覚を 色にしてみてください 音にしてみてください 
と促して 実際 色で紙を埋めたり 即興で音を出してみても

さっきまで話していた 悶々とした ドロドロとした感じがない あっさりしたものが出てきて
だって 考えたってしょうがないんです あの人達は何も分かろうとしないから
あんな事を考えてる自分がおぞましい そんな風に考えちゃいけない
という ”理性” が 全面にでてきて

きっぱりと 自分の感情を切り捨てている。

ふつふつとした いま この瞬間はなしていた感覚を
非言語である 色 や 音 にしてみる という試みにシフトしたとき
話していて感情の渦が自分を飲み込んでいる状態が なかったことのようなリアクションをする。

私の主観ですが
自分の感情と 自分が detach (分離) してるみたいに感じられますけど、 と伝えると

感情って なんでしょう?
感情って 存在するんでしょうか?
感情を スイッチオフにしている って感覚がわからない。

それに、もし感情が別にあるとしても その感情を知って何になるのでしょう?
自分と対話したら なにか状況がよくなるんでしょうか?

という話になり、

以下の内容は、このブログでも何度も書いていますが

自分がどのくらいの傷を負っているか、というのを 自分できちんと把握できたら、
自分で 自分がよくなるために必要な次のアクションを選ぶ事ができます、という事を伝えます。


擦り傷だと思っていて、本当に擦り傷だったら、 
自分の足を引っ掛けて転ばせた相手を憎んでいるうちに 傷はほっといても 治るでしょう。

でも、自分の状況が 
実は心臓に届くくらいの深い刺し傷だったら
あるいは、末期の癌だったら

相手を憎んでいるうちに 相手をどう痛めつけようか考えてるうちに 仕返しをしている内に
どんどん自分の体は蝕まれ、毒され、血を失い、自分自身の存在が危うくなるでしょう
しかも 自分がそうなっていっている というのを最後まで気付かない内に。

自分の傷を放置しているのは 自分 なんです。
相手が聞いてくれないことに腹をたてているけれど、
そもそも自分の痛みを無視しているのは 自分自身。


しかも、相手のせいだ と思っている問題の本質は 実は相手ではなく
自分の食生活だったり ライフスタイルだったり 相手を無意識に挑発し続ける自分の言動、 
気付いていない自分自身の思考や言動のパターンが、
自分の苦しさを呼び込んでいるいるかもしれないのです。


だから、自分の感情を ”ちゃんと感じて” ちゃんと向かい合う事に とても意味があるんです。
だから、自分と対話することに 自分がより楽になり より幸せになる鍵があるのです。


東洋医学でも、西洋医学でも、仕事をしていく上でも
”アセスメント” や ”現状把握” をすることが 
適切で効率的な治療や取組をするうえで不可欠であることは 周知されています。

本当は慢性糖尿病なのに、ちゃんと診断しないで 例えば 風邪薬をのんだって
なんの 治療 にもなりません。治療にならない所か、状況は悪くなります。

それと 同じことなのです。
自分の気持ちを ちゃんと把握する 
自分の心の構造を よりよく知る
無意識の層に押しやっているものがある事を受け入れ 向かい合おうとする
そういう力を セラピーのプロセスで育むことで

人を憎み まわりを恨みながら その状況に飲まれて負の渦を広げていく言動の連鎖を止め
自分が自分の人生の舵をとっている感覚を とり戻していく方向に進んでいく事ができます。







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by totoatsuko | 2015-12-06 18:31 | GIM:音楽と深層心理イメージ | Comments(0)

2枚目の絵

(前回の投稿の続き)
自分を一時的にでも完全に支配して、やらなければならないことにも手がつけられないようにしてしまう
深緑であらわされた自分の状態の絵。
中心の〇、自分という枠組み を超えて、
まわりの人達にも深緑、ネガティブな波動 は望んでいないのに手が付けられないほど拡散されていく。
自分の感情なのに、手に付けられなくなって暴走する感情とそれに振り回される自分、自分の人生。

その絵を描いていくプロセスについて
その過程を通して気づいたことをひとしきり会話したあと、
自分のいい状態を色にしてみませんか? と私が提案しました。

その人は、自分がいい状態であったことがないから、どんな感じか分からない
ずっと走ってきた感じ、、、
と呟いた後、すぐに黄色のクレヨンから色を紙に載せていくプロセスが始まりました。

いい状態であったことがない、ずっと走ってる
そんな生き方は 個人的には ほんとうにつらいだろうな、と思います。

でも、その辛さは、本人は”感じないようにしてきた” ので、
実感がなく辛い生き方を無意識に選び続けることができていました。

でも、この人は、
それが自分にとって とても辛い状態である という自分自身の感覚に気づき始めています。

これまでのパターンを踏襲しながら生きていく、そこに費やすエネルギーが 
本質的に自分がいい状態であるために使うことが出来たら
より気持ちいい 心穏やかな毎日がすごせるということに、気づき始めています。

この絵をかく作業も、曲の途中で描くプロセスが終わりそうになったのですが
曲が終わるまで、描くこと、その描いているイメージに留まる事を私は提案しました。

d0065558_1951344.jpg



描き終えて
中心がぶれないかんじ
自分の内側のいい状態から いいものが沢山まわりに広がっていって 周りの人に届いていく感じ
予定外に、緑がクレヨンについていたので、黄色のところに混じってしまっているけれど・・・ 
それも、黄色の中で浄化されていく事が出来る


自分がネガティブな感情に飲み込まれるような自分の気持ちの向かい合い方とか人との付き合い方を
ずーーーっと、もう何十年もやり続けてきた人が、
グリーンで塗りつくされているという というのが、よく体験する自分の状態 
それ以外の いい状態の自分 なんて体験したことがない と感じていた人が

全く自分自身が経験したことがない 新しい心のシステムをイメージできる

というのは、とても意味があるプロセスです。

例えるなら、日本の文化しか知らない、日本以外を経験したことがない人が
日本の文化にはない 何か異なる価値観を自分のものとして色にすることが出来る
というのは
自分の中に、与えられて生きてきた日本文化とは異なる自分の文化や価値観が生まれ、確実に自分の中でその感覚が育っていってきてるからだ、と言えます。
このような内的な変化がじわじわと、しかし確実に起こり、これまでの無意識に持っていて使い続けていたのとはちがう、自分が主体となって模索していく 自分の形、自分の生き方、というのは、とても個人的でクリエーティブなプロセスだと思います。

誰かに与えられた自分のイメージではなく
自分の内側が変容している過程で自然に生まれてきたものであることに、とても深い価値があります。

だからこそ、セラピーのプロセスを終了したあとも
セラピーの中で起きた変容は自分の中から消えず、自分を支えていってくれます。

いい状態の絵がかける状態になったから といって
次の瞬間から 過去のプログラミングされた自分から脱却して 
すぐに いい状態の自分を生きれるわけではありません。

しかし、その いい状態の自分 のイメージが 明確に心の中にあるか ないか で
この人が変わっていく方向性や 変化のテンポ に大きな影響を及ぼすでしょう。

以上、ネガティブな物に支配されている自分と、
自分の人生でいまだ経験したことはないけれど、見えてきた いい状態 の自分のイメージ の出現を通して、どのような対話をセラピストとクライアントは行い、どのような心の体験をするのか、ざっくりと書いてみました。

テニスについて”読んで知る”体験と、実際テニスをしてテニスを知る体験、は 全く異なるのと同様に
心理療法について”読む”のも、体験したことがあって読むのと、そうでないのでは、全く感じ方も理解の仕方も異なるとは思いますが、これらの投稿が、セッションの過程を垣間見る機会になれば、と思います。






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by totoatsuko | 2015-10-18 14:08 | GIM:音楽と深層心理イメージ | Comments(0)

2つの絵

あるGIMセッションで、ある人が描いた二つの絵を描いていった過程について、
心理療法セッションのプロセスの一面をご紹介できたらと思い、
ご本人の了承を得て、また、ご本人と特定されない形で、似ている他のケースの要素も織り交ぜながら
2回に分けて投稿します。

####

うまくいかなかったり、人と違ったりすると、不安になったり、どうしよう!!という気持ちになって
そんな気持ちに自分が乗っ取られて、取り組む予定だったことに手が付けられなる。
関係ない人に、そういう自分のネガティブな気持ちをぶつけるような言動をしたり、
なんて自分はダメなんだ、と思ってしまう。

人に よく頑張ってるね もっと自分を認めてあげなよ
と言われても 
そうかな 自分頑張ってるかな そうだよな うん、頑張った...(ハズ)...
でも、もっと出来てもいいはず
そんな風に考えるパターンがある。

実際のところ、自分を認める、ってどんな感覚のものか 全然分からない。


そんな 最近の出来事の話をセッションのはじめの辺りでしていました。
(5~10回目のセッションでのある一コマ)

こんな風に、
自分の中にどんな感情が生まれていて、それが自分の行動にどうつながっているのか
というのを 自己観察できて 言語化できるようになったのは
セッションにきはじめた頃にはない現象で、 
この人にとって、ここ数回のセッションを通して大きな変化のプロセスが起きていると言えます。


そして、自分を支配するイライラについてクレヨンで絵をかきました、
この人が
その気持ちを色していくプロセスをサポートするであろうと思われる、私が選んだ音楽を聴きながら。
深緑で。

5分程度の1曲目の真ん中あたりで、
(自分の中のイライラは)もっと濃い色、もっと白い部分がないくらいなんですが、、、
と、言いながらクレヨンを置いてかく作業を終えようとしたので、
まだ音楽が続くので、思う存分、もっと濃く塗ってもいいですよ、と一言私が言い
結局、もう15分間くらい、グリグリグリグリ 自分をのっとっている腹立たしい気持ちを描きました。
d0065558_19523012.jpg



私の”許可” を得たことと、音楽がその人の 
気持ちを感じる、気持ちを色にする、その気持ちを感じる事に留まる
というプロセスに寄り添ったことで 紙からはみ出るくらいに塗る という作業に繋がりました。

自分がイライラしてる という事を 
その人一人では 音楽だけのサポートでは ”塗りたくり” きれませんでした。

気持ちをフルに、ありのままに色にすることが出来ない、という現象は
その人が、セッションの始めの辺りではなしていた ”自分を認める” という事が難しい、
という性質とシンクロしています。

本当は、紙面が足りないくらい自分はイライラに満たされているのに
そのイライラをすべて書き尽くすことを ”止めさせる” 自分がいること
自分で自分の感情を認めていない、受け止めていない、という事に 
すこし深い意識のレベルで、この人は気づき、その事実を ”受け入れる” 事が出来ました。 

そして さらに
子どもの頃、親の愚痴のはけ口となっていた。辛いだの、苦しいだのいつも言っていて、誰かの愚痴をいつも言ってくる親がかわいそうで、自分が話を聞いてあげないとこの親は壊れちゃうんじゃないか、と子どもながらの気遣いをすると同時に、
そんな愚痴を聞いて気分が重くなるのは嫌なんだけど、その親の元でサバイブするには、親のはけ口という存在であるのが一つの方法とだと学習し自分が身につけてきたもの

それは、現在の自分の、自分をイライラさせてる人との関わり方と同質ものである 
という事にも気づきました。

自分が嫌だな と感じる関わり方をしてくる人に
あえて声をかけたり 様子を目で追ってしまったり
ご機嫌をうかがったり 相手がどうして欲しいかな と気遣って 自分から関わっていた
まるで磁石のように そういう人を引き寄せたり 自分が無意識に引き寄せられていたのかも
無意識に 子どもの頃の自分と親との関係を 自分で再現していたのかもしれない

愚痴ってくる、構ってほしがっている人に対して ”自分が嫌だな” と思うのは悪い事だ、
自分を守るために関わらないようにすることに罪悪感さえ感じる事がある。

その罪悪感からその人と関わる結果、
自分が嫌な気持ちに満たされるような出来事がその人との間で繰り返し起こる。

という事を、この人は気づきました。

自分は もう親に庇護してもらわないと生きてはいけない小さな子どもではないけれど
子どもの頃に培った ”親や身近な大人との関わりかた” が ”どんなものであるか” というのを認識しないままでいる事で、”今の自分には害になる関わり方” を大人になっても無意識に続けてしまっていることはよくあります。

きづくと 変えられる。
その気づきが深いレベルであればあるほど、深い変化は可能になる。

嫌な人との関係で起こる嫌な気持ちに、どれだけ自分の人生が振り回されているか、汚染されているか
という気づきと
自分が気持ちよく付き合える人と付き合う事を選んでいいんだ、
という気づき。


セッションの中で、一枚の絵をかくプロセス は、
自分の一人では向かい合えなかった気持ちに向かい合い
その気持ちに しばらくの間ステイすることで より深くその気持ちを理解し
その気持ちを持つ自分との対話を可能にし
思ってもみなかった自発的な自分にたいする発見と
そこから自然に発生してくる内的な変化が導かれていきます。

(続く)





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by totoatsuko | 2015-10-17 19:53 | GIM:音楽と深層心理イメージ | Comments(0)

GIM 音とイメージを使ったカウンセリング

d0065558_19291170.jpgBonny Method Guided Imagery and Music Therapy (以下GIM)は、Helen Bonny によって確立された音楽心理療法のテクニックの一つです。

The Way of Shaman (1990) Michael Harner という本の中には、
どのようにシャーマンたちが、人々が見えない、聞こえない何かに繋がり、感じているのか、
受け取ったものを、叡智とか、予言とか、をどのように私たちに伝えているのか
ということが書かれています。

ちなみに Michael Harner という人は、白人のシャーマンの祖 とも言われており、
学術的なバックグラウンドも持っている人です。

すこし、話がそれましたが、、、その本を読んでいて
GIMといわれる音楽療法セッションでも、シャーマンが繋がるような世界とつながる瞬間が起きる事があるな、と思いました。シャーマンが持つような能力? がない大多数の人達でも、GIMのプロセスの中で、心と体と魂の解離と融合のようなものが起こり、自己のスピリチュアリティーに繋がるような体験を、音楽とイメージの中ですることがあるからです。

これは、体験した人にしか分からないし、
セッション体験は、その人に準備が整った分だけの深さの体験が起こるので、
GIMセッションはシャーマニスティックな体験をするものだ、というのは全くの間違いです。


ただ、特別な能力がなくても、GIMのセッションプロセスを通して、
その人が魂のレベルで自分と世界の事を感じるレベルの事が起こる。

魂の感覚、スピリチュアルな感覚、というのは
与えられたからだで、この世界を生きる感覚を大きく変えます。
 
The Way of Shaman という本を読んで 
私の個人的なGIMの体験や、セラピストとしての経験から、私が個人的に改めてそう思った、
ということを、誤解をおそれずにここに記しておこうと思います。






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by totoatsuko | 2015-09-26 23:24 | GIM:音楽と深層心理イメージ | Comments(0)

過去への理解は現在の経験により変わる

d0065558_00205261.jpg
過去に関する経験は、現在の経験によって色合いや意味合いが 自分の中で変化していく事があります。

当時以降、自分が経験したこと、感じた事、の積み重ねで出来ているフィルターを通して 過去を異なる視点で捉えるからです。

レンブラントの絵だけをみていて、その光と影の絶妙なバランスや、厚みのあるタッチに心が動かされ、その技法を学ぶ。
その後、自分自身が、印象派の油絵具の使い方を学んだあと、もう一度 レンブラントの絵をみたら、
レンブラントの光の描き方、タッチ、構図、などなどを、全く違う視点でとらえる自分がいるはずです。

死に直面するような出来事を経験している最中、そして、その直後は、自分自身が暗闇に突き落とされていて、天から見放されたような、絶望を感じるでしょう。そこから少し抜け出したとき、思い出したくもない、口に出して語りたくもない、忌むべき出来事として自分の奥底へ葬りたい出来事のように思うでしょう。しかし、その辛さの先の将来=今、その辛さがあったからこそ切り開いていった自分の生活が満たされたものであれば、過去のこの出来事に対する色合いは、過去の自分の思いとは変化している事でしょう。

同時に、過去の出来事に囚われ、嫌なのに無意識にしがみついていると、前に進めず、苦しい状態が将来=現在 に続いていたなら、その状態もまた、過去の辛い出来事にさらに輪をかけて暗雲立ち込めたひどい出来事だったと塗り替えられることでしょう。

とてもとても楽しい過去の出来事も、今 その延長線上で起きている事が最悪な状態に繋がっていたら、
当時は 最高の経験をしている、と感じていても、なんで あんなバカな事をしていたのだろう、という忌むべき思い出として塗り替えられるかもしれません。

私たちは常に変化しています。

アートや音楽を即興で作っているとき、その展開は自分自身が主導しているようでもあり、予期せぬハプニングが起こり、自分の思い通りに行かない状態にもなります。そして、即興を続けているかぎり、それを 自分はどのように受け止め、自分の即興をつくっていくのか、が その自分の即興の音楽として反映されていきます。

生きている事も、即興音楽、即興制作に共通するところがあります。
ある一定のルールに従って生きていますが、どのルールに従うのか、どのくらいルールからはみ出すのか、全て 私たちは 無意識にいろんなことを決め、その瞬間 瞬間 人との関係も、仕事の仕方も、子育ても、介護も、 料理も、お掃除も行っています。


即興で自分らしく生きていい、という自由を与えられているのに、
自分を害するような価値観や感覚のパターンにしばられて、どうどう巡りの音楽を奏でているかもしれません。

音楽心理療法は、そんな自分の気づいていないパターンや、処理しきれていない感情の渦を、
言語をつかった会話だけではなく、音楽やアートを使って その人のペースでひも解いていく、その人らしい苦しくない生き方を自分でつくっていく そんな心のプロセスを促していきます。



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by totoatsuko | 2014-09-19 09:45 | GIM:音楽と深層心理イメージ | Comments(0)

セラピーにおける評価されないアートや音楽 というツール

d0065558_2046514.jpg商品としてのアート、アーティストの仕事としてのアートは批判の対象になってしまいますが、

個人的な音楽活動、アート活動、しかも、自分のためのプロセス なら なおさら 誰かに何かを言われるものではないはずなのです。 が、日ごろから人の評価が気になっている人は (自分は人の評価を気にしていない、と自負している人でも、実はとても人の評価に振り回されて生きてきた、という人もいます)、自分が自分の感性や言動を批判する、という 日常でやっている事 を セッションルームの中で、”自ら” ”無意識に” 現することが多いのです。


絵なんてかけない、音楽なんて出来ない。
どうやって、私たちは そう自分の事を決めつけてしまうようになるのでしょうか? 
そもそも 絵が描ける 描けない ってどういうことでしょうか? アーティストのような作品が書けない=絵をかくに値しない人間 であるわけがありません。幼児がなんのためらいもなく 嬉々としてクレヨンで落書きしている、おもちゃの楽器をかき鳴らす、それだって、絵です 音楽です。

自分で自分をアート活動から遠ざけてしまうパターンは、これまでに自分の中に刷り込まれていった、刷り込んでいった 自分の環境ー家庭や社会 に自分を適応させるために作り上げていった価値観を象徴的にあらわしている事があります。

セッションルームの中で、療法士と話をしているとき、あるいは、閉じられたグループの中で 何等かのセラピューティックな目的で話しているとき、

そのサバイバルに必要だった価値観や感覚を発揮させなくても
自分の身に危険が迫らない 批判されない状況 でも、
その視点に無意識に囚われてその立場で自分を生きて 自分の本来もっと自由であった感覚や価値観を ある一定範囲でしか機能しないように制限していることが多いのです。


この事実に、心の奥底の感覚をつかって気づいていくことで、
その鎖から自由になっていく一歩一歩が重ねられていきます。

自分の無意識のパターンや思い込み、先入観が生まれざるを得なかった出来事など 深い深いところに追いやっているもの、言語化しきれない何かを 音楽やアートの療法的なプロセス - 療法士との関係を通して クライアント自ら気づいていく、それが 音楽やアートをつかったセラピーのとてもユニークなところです。




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by totoatsuko | 2014-09-17 20:45 | GIM:音楽と深層心理イメージ | Comments(0)

いい 悪い とつい評価してしまう私たち

d0065558_8113930.jpg自分の状態を相手に言語化されて言われた時、
しかも、その状態に自分が気づいていなかったり、
言われたような意図をもって振る舞っていた訳ではなかったとき、

自分は 相手に対してどのような反応をするだろうか?
自分は、どんな風にその言葉を ”感じる” だろうか?


相手の受け止め方が、ある個人の見解 ととらえるか、
それとも、その相手に大多数の人を投影して、 ”みんな” がそう思っているように感じるか
自分が誤解されているように感じるか
評価されている気がして、嫌な気持ちになるか

相手はなぜそのように感じたかを知るために対話を始め、
自分が意図したとおりの事が伝わるためには、自分をどう改善すればいいのか、 と探るのか

e.t.c e.tc....


2つ前の投稿で、
音楽療法科での初めての即興演奏のクラスで、色々とまどった私の経験を書きました。

いかに これまでの自分と音楽の培ってきた関係や音楽に対する先入観が 今 の自分の音楽との関係を制限しているか という事を伝えるために、私の その個人的な体験の話を学生たちにしているときに、もう一つのエピソードも話しました。

   ***
詩を読んで感じた事 を音にする、という課題に対して私がとまどいながら即興を終え、先生や他の学生と対話したあと、次に ピアノで詩の印象を表現したのは、セミプロのジャズマンでした。私と違って、何も戸惑いがなく、流暢なジャズのフレージング、ヴォイシングで かっこいいサウンドを奏でました。

先生がきく、本人に
「どうだった?」 How was your experience?
「とても気分がよかったよ、こういう事を試みたのは初めてだったけど、面白いね」

「とてもジャズっぽいサウンドだったわね」
「Yes...」
「それは 自分にとってどういう事でしょうね?」

彼は、自分が感じた事を 自分にとってなじみ深い 使い慣れた ジャズ という音楽のフィルターを通して即興をしたのでした。それは、彼にとって無意識だったと思うのですが。

   ***

そういう風に話すと、学生が手を挙げました。

「その人の即興がジャズっぽかったのは いけなかったんですか? 
(さっき 先生は 音楽療法では、いい わるい という評価はない、と言っていたのに、このクラスの先生はジャズっぽい即興を いい わるい で判断しているんじゃないか というニュアンスを含めて)」 という趣旨の質問でした。


この学生さんは、私の話し方のニュアンスのせいで、
あるいは 本人の傾向があってか、それは分からないけれど、 

先生の個人的な ジャズっぽいサウンドだったわね、というコメントを 
ジャズ というサウンドに囚われた即興でよくなかった、 と
いい わるい という判断基準に照らし合わせて判断したのだな、と思いました。
頭では、 音楽療法における音楽活動は、他者に いい わるい と評価されるものではない、という話を聞いて頭で理解しているはずなのに。 

そこで私は答えました。

「いいえ、そういう事は言っていません。
先生は、先生が感じた事を伝えただけで、それがよかったか わるかったか という事を伝えたのではないのです。 

セミプロ ジャズマン が、 自由にどのように音をつかってもいい という場でさえ、
自分の馴染みのジャズサウンド というフィルターを通して音を作ったように聞こえた
それは あなたの何を象徴しているか考えみませんか?

という投げかけをしただけなのです。

このようなコメントを通して学生が自分と音楽の関係をより細やかに見ていく姿勢を促し、
気づいていなかった自分の音楽的なクセや習慣、傾向を受け入れていくプロセスを始めさせることで、
自分を囲っている音楽の概念からより自由に、より意図的に音楽を扱う事の出来る音楽療法士 を育てようとしていたのです。

仮にニュートラルなコメントなのに、それを 批判や非難されているようにとっている、というパターンに学生が気づいたなら、そのネガティブ思考は 自分のどういう所から発生しているのか、という事を知るために、壮大な心の旅が始まる、という訳です、よりよい音楽療法士になるために。

という様には、上手に説明できなかった感じがしているのですが。。。


自分の状態を相手に言語化されて言われた時、
しかも、その状態に自分が気づいていなかったり、
言われたような意図をもって振る舞っていた訳ではなかったとき、
あるいは、それが認めたくない自分の側面をドンピシャに言い当てていたり
コメントした相手が 自分より目上、あるいは目下の人だったり

無意識に、自動的に 自分は批判されているのではないか 何か間違っていたのだろうか
と思考・感情反応する場合がよくあります。相手としっかり対話すれば、そういう意図で言った訳ではないと気づくことが出来るかもしれないけれど、毎回 そういう会話がを起こすことも出来ないだろうし、自分の中で妄想が広がって、自分で自分の嫌な気持ちを引き起こしているのかもしれません。


巷には いい わるい という評価軸があふれています。
他者をそのように評価し、自分もそう評価される経験を積み重ねています。

しかし、その軸では測れない人間の営み、生きていくプロセスがたくさんあります。

その人のストーリー、考えてきた、感じてきた事の変容のプロセス 
その事自体に 当事者や、その人と深く関わる人にとって大きな意味があり、
自分にとっての方向性や答えが含まれている、と 私は捉えています。





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by totoatsuko | 2014-09-14 08:12 | GIM:音楽と深層心理イメージ | Comments(0)

自分の心と対話するために音楽をやったことがあるだろうか?

d0065558_917387.jpg学校でいろんなことを教えてくれるけれど
自分の心と対話する ってことは 私は教えてもらった記憶がない。

その作業はとても個人的なものでもあり、
その方法を教える過程で 本人たちが自分の闇に飲まれそうにさせてしまう可能性もあるので、
教える側としたら、それなりのトレーニングを受けていないと危険だろう、と思う。

私は、音楽療法を勉強し始めるまでに 数えきれないほど音楽を奏で、音楽を学ぶ時間を過ごしたけれど
自分の心を表現したり、自分の心を見るためだったり、自分と対話するためだったりに 音楽を使ったことがなかった。

そういう事が出来るとも思ったことがなかったし、
楽譜に書かれた音楽を、いかに自分らしい音色と解釈で表現するか、という厳しい試みは、
ある意味 自分を表現している、と思っていた節もある。

そういう事では表現できない心が私にあるとは思っていなかった。


社会が近代化され アーティスト という職業が確立され、アートが商品として認識されるようになったと同時に、アーティストではない人が生まれ、商品として社会に認められないアートや創作活動は人々の日常から減っていった。

泣きたいときは泣き叫べばいいし、ドラムをかきならしてもいいだろうし、
仲間と繋がりを感じたいとき、仲間内でいつも歌っている歌を歌ってもいい。
その時に、勝手に ”自分の歌やメロディー” を作ってもいい。
アートは 商品づくり の為だけでも、アーティストの物だけでもない。

誰かに見せるためでも、何かを描写したもの、でもなく
自分が出したい音をだし、自分が書きたい色をかく。

そういう事になかなか意味を見いだせない、しいては つまらない事 と思ってしまう感覚、
というのはどうやって私たちの心の中に育まれてきたのか?
技術やセンス、あるいは楽譜がないと音楽が奏でられない という思い込みは、どこから刷り込まれたのか?
カラオケ とか 宴会の場 など 決まった場所でしか歌わなくなったのはどうしてか?


音楽とは、その人 その人の関わり方があっていい。

自分の音楽を取り戻す = 自分を取り戻す
そんなきっかけになるようなワークショップもしていきたい、と思う。



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by totoatsuko | 2014-09-11 09:14 | GIM:音楽と深層心理イメージ | Comments(0)

言葉はなんとひ弱な事か

d0065558_19412885.jpg言葉にしか出来ない事があります。
言葉が持つ影響力も多大で計り知れないものがあります。

同時に、心を前にして、言葉はなんと説得力がないものなのか・・・ 
そんな風に感じた事が何度もありました。

言葉を発している相手に猜疑心を持っているとき、
その人が 他者と信頼関係を築くことが困難な心理状態にあるとき、
話されている内容が本人にとっては聞きたくなかったり、都合の悪い内容だったり、
話されている内容・実態の存在があることを 頭から否定しているとき、

どんなに言葉を尽くしても、
どんなに相手の言葉や表情や非言語で発されるものを全身全霊で受け止めても、言葉を重ねれば重ねるほど、相手と繋がることから遠くなっていくような感覚、相手から拒絶されていくような感覚。

でも、相手を信頼していたら、何か深い絆で結ばれていたら、
短い言葉だけでも、そっと触れた手のぬくもりだけでも、
何かとても強いメッセージや、豊かなメッセージを感じられる事も出来る事がある
そんな時、沢山の言葉はいらない。


本当に、本当に自分に自信がないとき、
自分の猜疑心からか、相手の本当に上っ面なエネルギーを感じるからなのか、、、
相手と何等かの理由で心が素直に繋がれていない時
大丈夫、あなたを信じてる、出来るよ
と言っても、言われれば言われるほど その励ましが嘘くさく感じられる時があると思う。


例えば、”気” の流れを話していても、
あたまから ”気” の存在を否定していたり、 
”気”にまつわることでネガティブな体験が過去にあったりしたら、

りんごの存在の話をしているのと違って、
”気” を 目に見えるように持ってきて、この事だよ、 と実物を見せて説明できないし、
りんごをかじって味を試してみるように簡単には ”気” を試食してみることができない。


Guided Imagery and Music (GIM) で扱っている ”心” も、また実態をつかみにくいものだ。
目に見えないし、手でつかむこともできない。
自分で ”感じる” しか、その実態を確認しながら、心の構造をひも解いていくプロセスを進めるのは難しい。

心の状態の診断名があったとしても、それ自体は、”本人が自分で心のプロセスを深めていく何の助け” にならないどころか、妨げになることもある。何故なら、心理療法では、心理療法士がクライアントの心を “治す” ことは出来ないから。 処方された薬も、それ自体は、その人の ”心の構造” を根本から変える事ができない。

何等かの理由で、心の存在を、感情を ”感じられない” 人も沢山いる。
感じられていない、という事にさえ気づかず生きている人もいるし、
その事実に気づいていても問題意識を持っていない人もいる。

感情が感じられないから、といって、すぐに日常生活が送れなくなる、という事に全てのケースが繋がってもいない。日常生活に支障をきたしていても、当人は支障がある、とは感じていない場合も多くある。


だから、いつも思う
みずしらずのセラピストと
Guided Imagery and Music session (GIM) という、 
音楽やアートを使てカウンセリングやサイコセラピーを行う、まだ日本では聞きなれないアプローチを使って、
深層心理、という見えない心のエリア、
実態 が人によっては感じられないエリア、
場合によっては理性と相反する主張をしたり、
自分の影の部分が蓄積されているかもしれないエリアの事を、
見つめてみよう、と行動を起こすのは、それだけで、大きなアクションだと。

心の構造がこのプロセスによって変化し、
今の現状の自分が ”変化する” 可能性がある。
ほんとうに、生き方が 価値観が、変容する可能性がある。

今の現状がどんなにひどい状態であっても、”変化する”ことは、痛みを伴う事がよくあるから、
本当に、その人なりの決心とか、覚悟とかがないと、深く入っていけないプロセスだと思う、
誰だって、痛み を感じることは辛い、その先に光があると確信できていても。

GIMセッションでは、クライアント本人が見たり描いたりしたイメージが、
自分では気づいていない心の構造や、状態をなんらかの形で象徴している、というスタンスなのだけれど、
何等かの理由で、自分がみたイメージや絵が自分に属している、自分の一部で自分を象徴している、とは思えない、思えないどころか、全否定したくなる場合もある。

それは、それでいいと受け止める。
いま、その人はそういう状態なのだと。
自分のどこかの部分を受け入れることが出来ないことを象徴しているのだと。

絵もイメージも私も、全部 ありのままのクライアントを受け止める、
クライアントが ”書いたりみたりしたイメージを否定している自分” を否定しても、
見つめる事ができなくても、
それもひっくるめて、全部受け止める。

そんな姿勢に例えばイラつかれても、受け止める。
イラついている、というのが、その人の感情の実態なのだ。

実態がない心と向かい合う時、

私は自分の心も使い、クライアントが言語にならないイメージや絵や音を使う機会を提供することで、
クライアントが 無いと思い込んでいる感情 だったり、自分の言動を翻弄する心 の実態を 
自分で ”実感する”

言葉で説明されたり、言葉で分析されるんじゃなくて、
自分で 言語で理性で理解した心を説明しようとしたり、分析しようとするんじゃなくて
”実感する” 
自分で 感じる 自分で わかっていく。

感じる その感覚は、言葉の説明では代替できない。

どんなに短い瞬間でも、どんなに些細な感情でも 
理性や日常使っている意識レベルでは掴めない 深いレベルの心 で感情を感じる
GIMセッションでは、そのプロセスをクライアントが安全に重ね、心のプロセスを深め
求めている心の方向性が開けていくことが起こる。

その人の心のブロックの硬さなど、色々な条件の違いで、その進み方のペースは個々人で違う。

一般的な言葉だけのセッションとは比べ物にならないほど、
トレーニングされたセラピストと共に行われるGIMプロセスでは、
音やアートが心の深淵と繋がる手助けをしてくれいる。



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by totoatsuko | 2014-08-11 09:04 | GIM:音楽と深層心理イメージ | Comments(0)
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音楽療法士(GIM)のつれづれ


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