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カウンセリング@代々木上原・音楽療法・心理療法 GIM

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カテゴリ:音楽療法セッション例( 20 )

音楽と医学の間で ~ 医師ロバート クプタ@TED

d0065558_1472889.jpgTED (Technology Entertainment Design) という 国際的なカンファレンスがあります。
経済や政治の事を話すのが、ダボス会議 なら、アートや教育、生活のの視点で活躍する人達のスピーチやパフォーマンスがシェアされるのがTED  と短く説明すると乱暴すぎるかんじですが、、、 もう少しよく知りたい方は TED で検索してみてください。 沢山の印象的なメッセージを見聞きすることが出来ます。

今日は、その中の一つ 医師による音楽の力を話しているスピーチ(日本語訳付き) を紹介したいと思います。私自身は大分前に見たことがあるのですがまだここのブログでは紹介していなかったかもしれません。最近友人がそのyoutubeを見つけて紹介してくれたのをきっかけに、もう一度みてみました。

音楽と医学の間で ~ 医師ロバート クプタ@TED


彼の情熱的なトークに、彼がどれほどまでに音楽の力を信じ、実感しているこかを感じます。
彼の話しているエピソードは音楽療法が出来ることのほんの一部でしかありませんが、
医師 という 音楽療法とは異なるプロフェッションの方が音楽の力をこれほどまでにpassionate に語ってくださることが、とても嬉しいです。


音楽が療法的に使われた時、人々に言葉を超えた、想像を超えた奇跡をおこしてくれます。
音楽は、心をおのずから開かせ、溶かし、安らかにし、再生させ、繋がり、構築させていく力があります。

音楽が持つ力を専門家としての道具として扱って 
~ 例えば メスや糸や針などが外科医の道具 と言うならば 
音楽療法士にとっては、音楽 が道具である と言えます

その人が必要な変化をもたらす治療 あるいは 介入 をするのが、”訓練された音楽療法士” の役割です。


私も、音楽大学在学中に 社会に、困っている人達のため に貢献するには、医師になる道を選んだ方がいいのではないか、とすごく考えた時期がありました。クラッシック音楽家として道を究めても 自分の演奏が誰かを感動させることは出来ても、心の深いところ、生活の実態まで踏み込んだ働きをする姿が想像できなかったのです。そして、ある時、アメリカの大学の教授による音楽療法の講習会をみつけ、ひどく感動して、この道に入りました。医療ではどうする事も出来ない医学的な症状、心理状態に対して音楽を療法的に使い結果を出す。音楽を使って、音楽療法としう専門的な見地とテクニックをもって人のためになる事ができる、それはとても衝撃でした。 今 思えば、あの講習会で知った音楽療法は、音楽療法の世界のほんのほんの一部だったのですが。。。

この領域に飛び込んだ後に知った事は、歩いても歩いても行きつけないほど奥が深く、幅が広く、発展進行中の専門分野であること。

音楽を療法的に使った人への貢献方法の一つ、音楽療法に いまだに さらに魅了され続けています。



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by totoatsuko | 2014-08-26 14:07 | 音楽療法セッション例 | Comments(0)

音楽療法 と 音楽遊び 

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音楽療法 あるいは、療育・セラピー など、
専門的な介入をするセッションだと名付けられて売られているサービスが、

本当に セラピーとしての機能を持っているのか・
セラピーとえる質のものなのか、は

何等かの”資格を持っている” という専門家の間でも議論が分かれる所だと思う。
そもそも、資格がある事だけでは、現実には質の保障にならない。


ましてや、音楽療法士 ではない人同士で、

音楽がセラピーの目的に沿って使われているか、
そのセッションが ”セラピー” といえるクオリティーなのか、
という議論をするのは、とても難しいことだと思う。

これはセラピーです、とシールが貼ってあるサービスを、
カレーパン とパッケージに書いてある中身を
そもそも、本当にそうだろうかか? とは疑わないと思う。
○○クリニック、って看板があったら、そこが病院だと疑わないのと同じように。

自分が知ってるカレーパンの味と違うけど、これもカレーパンて言うんだな、と思うとおもう。

音楽療法:セラピーや療育、と形容されるものと 音楽遊び:音楽教育 と形容されるものは、
決定的に違うのだけど・・・

その時間、楽しくすごせているように見えたら、あるいは、自分が楽しかった! と思ったら、
そのセッションに対してお金と時間を費やすことに満足・納得すると思う。

でも、それでは、何か別の習い事でもいいわけで、
今自分に必要な目的のために専門家とのやり取りによって行われる ”セラピー” は
習い事とは別物だと私は思っています。


かくいう私のSpecial needs の子ども達とのセッションも、
リトミックみたいで楽しそうですね~、
と言われる事がありますが、
そういう時は、リトミックのクラスの一般的なサービスの目的と、
音楽療法、という専門領域の音の使い方の違いを、
出来る限り分かりやすい言葉で説明するよう心がけています。


セラピーって、相手の現状を 専門家としての視点でしっかりとらえ、短期・長期的な視点でみて、
今 専門的に介入するにあたって目標とする事、大事にすること、
取り組むべきことは何か理解しながら、相手の変化に寄り添いながら、
よりよい変化に、自分の専門性 ~音楽という道具と、人間に対する知識と経験、を使いながら寄り添う事。

”音楽を楽しむ” のが一義目的ではなく、
発達を促す、心理的プロセスを深める、リハビリの効果を上げる、などのために
音楽、という道具をつかっておこなわれる、というスタンスなのが、私が行っている音楽療法の考え方。

勿論、音楽を楽しむ、という経験は付随してくるけれど、
時には、辛い気持ちだって喚起されるプロセスも、もちろん当然のように起こってくる。
でも、それは、全て、短期・長期的にみて必要なプロセスだから、きちんと向かい消化していくことで変化につなげていくのが、療育であり、セラピーである、と思っています。

相手の表現することや、共有された音楽に対する洞察は、
掘れば掘るほどくらでも深く分析していくことが出来、それが次のセッションの内容や質に繋がる。

専門家であることは、一生 勉強をつづけることでもあります。

専門家としての器を育てること、
マニアックな世界、アカデミックな世界を、一般的に分かりやすくより多くの人に伝えていく力、
音楽療法の本質についての理解者を増やす力。


でも、それがしんどい、そんな違い、分からないよ、そこまでやらなくても文句言う人いないでしょ、
っていうスタンスじゃないと、なかなか世間には広がってはいかないのかもしれない。


誰でもつくれる、パッケージ化されたそこそこ美味しいファミレスのほうが、店舗は全国に広がれる。
知識や経験が積まれてない人の働く場も増えるし、
とにかくお腹がすいていて何でもいいから食べたい、というお客さんのニーズに応える事もできる。

しかし、熟練の料理人の味にはマニュアルがないから、真似事で再現する事が出来ない。
当然、ピラミッドの先端のように、知識と経験を持つ人の数は、少ない。

いや、でも、世界には熟練の医師たち、法律家、ビジネスマンたち、音楽家など
それぞれの分野で職人芸ができる専門家達がたくさん たくさん活躍している。
少なくとも、決められたスタンダードが、ある一定の質を満たしていると思う。
(事情が分かっている人は、その中でもより”いい人”を選んでいく傾向にあるけれど)

医師並みの質の教育と実習があって医師としてのスタートラインに立つ、
それから一人前になるために研鑽を積んでいく、というような過程を
今の日本の音楽療法業界がおかれている状況の中で整備する、というのが難しいのは分かる。
なんとかしなければ、と思っている人たちはたくさんいるけど、
私自身、まだまだ動けていないです。

私の人生のこのステージで、今の私にできることは、
与えられた機会の中でよりよいセッションを重ね
音楽心理療法士としての知識と経験を周りの人と共有し、高めあい、
クライアントの方々のプロセスのために丁寧に貢献していく事だと思っています。
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by totoatsuko | 2014-02-19 20:20 | 音楽療法セッション例 | Comments(1)

音と色の療育 テキスト教育は可能か?

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こころと言葉の教室 こっこ という未就学児向けの療育施設で
音と色の療育 (保護者の方へのフィードバックも含む) という45分のプログラムを、この施設の立ち上げの時から開設させてもらい、3年間やってきました。

何度か、このプログラムのマニュアルが書けないか、という話がありました。が、人の心を相手に行われる療育は、少なくとも、コンピューター操作やファミレスのサービスマニュアルなどとはちがいますよね・・・

ノードフロビンズ音楽療法もGuided Imagery and Music も知らない音楽療法士の方々、他の専門領域の方々に ”読んだら理解できる” ひいては、 ”読んだら、ある程度実践できる” テキストを作るのは可能だろうか? とその都度自問してみました。

凄くかんがえて、考えてみました。

元になっている心理学の理論、音に対する意識や哲学、Special needs の子どもたちの受け止め方、相手に対する見立て方、グループダイナミックスのとらえ方、スタッフの教育、療法士としての自分の心の扱い方など等、、

即興的な音楽療法のセッションを体験された方ならお察し出来るかもしれませんが
あのセッションの感覚を テキストを ”読んだら理解できる” ように書くことは、至難の業だと感じました。

体の事が書いてある本をたくさん読んでも、医師と同等の仕事が出来ないのと同じ事ですよね。

もっともっと具体的に考えてみたけれど、至難の業、というよりは、不可能だと思いました。

音と色の療育は、私が受けてきた教育や経験の中で培われた引き出しの中身を使って、こっこ という45分の療育(個別・集団療育)を提供する施設に合わせて作ったもの。

今の私が出来る音楽療法は、大学院などで学問として体系的に教えられ学ぶだけでなく、臨床で知識と経験豊かな先輩や同僚たちによって鍛えられトレーニングされたからこそ、存在します。

だから、テキストやマニュアルを読んだだけでは、自分を顧みても、今の自分に近づけるとは到底思えない。
テキストを読んだだけで実践しようとすることで、書かれたことを間違って解釈している事に気づかない、我流でやる、というのは、とても罪・・・


読んだだけで書かれた内容が出来るのだったら、大学も、インターンとしての訓練も必要ない。


音楽の力は偉大。 
だからこそ、よくない方向に 療育家の無意識によって作用させてしまう場合は、本当に怖い。


こっこ で 私が やってきた 音と色の療育 は、その時 その時の子ども達やスタッフの空気感によって、即興で音が作られ、展開されていくプロセスだから、例え、様々な瞬間を網羅したタイプ別の対応マニュアルがあり、そのマニュアルを頭に叩き込んで ”生きた音” と ”生きた感情” をつかって 療育目的にそって実践していこうとしても、うまくいくようには思えないのです。その知識を、 ”どう自分の中で消化させて” ”消化したものを、生きた相手に対してどう使うか” というところまで、人の手によって教育していく過程がないと。

こんなセッションやってますよ、こんな事を考えながらやっていたんですよ、
とみなさん (音楽療法・アートセラピーについて、障がい児療育に興味がある方々) に紹介するのが目的の本を書く、というのはイメージ出来るのですが。。。 ←それをやるには、覚悟を決めて、文献をもう一度ひっくり返し掘り起し引用したり要約したり、言葉にならない音楽や心の動きを説明するための言語を見つけていく、など膨大な時間が必要だと、想像するだけで予測できるので、書く試みをしようとは、今の時点では思えませんが・・・ いつか、書けたらいいな、と思います。


音と色の療育では、ほんとうに子どもたちの変化、そして保護者の方々の子どもをみる目や気持ちの変化に音楽療法士として寄り添わされてもらいました。


もうすぐ年度末。 
小学校にあがっていく子ども達もいます。

共に、音楽を通じて深くつながる時間が持てたことに、子どもたちの成長と子どもの事を思う保護者の方々に寄り添う経験をさせていただいて、感謝の気持ちでいっぱいです。
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by totoatsuko | 2014-02-17 23:27 | 音楽療法セッション例 | Comments(0)

低体重出生児~ 病院を退院した後のサポート環境 と 音楽療法ができること

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障害を少なくする医学を究めていこうと願いつつ,
それでも障害が残る生存になった場合の医療を社会の皆様と共に整備していきたい

NICUをメインにお仕事をなさっているお医者さんの一言が、
色々なことを考えさせられました。

日本では、とても熱心な医師に出会うと、
生まれてからだいぶ成長するまで親身に見てくれるけれど、
そうでない場合は、病院から離れるとどうしていいかわからず、手探りの状態になる。
重い場合は病院とのつながりがあるけれど、
軽い場合は医療との接点もなくなり、不安なままの育児になる、

というような保護者の方たちの声もあります。


例えば、自閉症 と診断を出すのは、医師ですが、
診断をもらう事自体が、子どもを生きやすくはしません。

それに、自閉症といっても、
それぞれの子どもは多彩な特徴があるので、その診断だけでは、その子の本当の姿は何も見えてこない。

自閉傾向のある子どもが、彼らの苦手な 

他者の存在への気づき
感情や意志の表出とコントロール
コミュニケーションスキル

などなどの点を改善、
あるいは伸ばすための介入は、医師による診察では行われません。



浦安市で、何等かの発達障害をもつ未就学児向けの療育プログラムを提供している
こころとことばの教室  という施設で、私は音楽療法などを提供しているのですが、
早産低出出生体重児 も療育の対象に含まれています。


療育施設で日々お子さんの発達が心配で、
療育などの場を探しているお母さんたちや、発達センターの方との関わりの中で思うのは、
公的機関での療育の提供は、量に限りがあり、
療育を受けたくても受けることが出来ない人が沢山いるのだな、という所です。

また、育てにくさがあるお子さんに対して
”療育” という、専門家によるプログラム?サービス?クラス、というものが存在する、
という事すら、まだまだ一般には浸透していないと感じます。



ここ数年、市や区が、民間団体に委託して、あるいは、発達が気になる子どもを斡旋して、
福祉センターでは月1回しか療育を受ける事が出来ない子どもも、
民間の療育プログラムを、毎週 という単位で受けられるようになっている、
という流れが生まれている市や区があるようです。



あるいは子どもの障害の特徴を
正しく理解して接することが難しいケース、幼稚園や学校、家庭環境の中で
子どもたちが生きづらさを感じ、精神的にダメージを受けざるを得なくなっていると、
被害妄想がひろがったり、言葉で説明できない分、手が出ることを抑えられなくなったりして、
二次的な障害を持ってしまっている、
そしてそれに対して、専門的に介入するルートがない、 というケースも少なくないと感じています。

その点、保育所等訪問支援事業、 というサービスに国の予算が数か月前におりて、
認可された施設の専門スタッフが 保育所や学校などに出向いて、お子さんの様子を把握し
先生方の困り感、お母さん方の困り感を組みながら、どのようにしたらそのお子さんが集団生活の中でより混乱がすくなく、あるいは安心して過ごすことができるのか、 というのを専門家の立場から対話を促し、アドバイスを行っていく、という事業も始まっています。

まだまだ、そのサービス自体が全国には浸透しておらず、
提供出来る力がある者も、利用希望者も少ないのが現状ですが。


医療的に問題を持っているお子さんは、療育施設に行く、という事自体大変な事である場合があり、
スタッフが病院や、ご自宅に訪問して療育を提供する、というのが団体として出来ないか、と相談したところ
浦安市からは、事業所内で療育を行う事に対しての認可をもらっているので、原則出張サービスはできない、とのこと。

この辺にも、必要としている子どもたちに療育を届けることが出来ないもどかしさがります。



また、療育を行うと とても成長が促される、
そして、お母さんも子どもへの接し方が学べ子育てが少しでも楽になることが促せますが、
特に、肢体不自由さを持ち、他の発達障害を持っている重複障害お子さんに対して療育が出来る力を持っている専門家の数が、日本では圧倒的に限られているように感じています。



盲学校なども、視覚の問題以外の発達の遅れがあったら受けいれない、
という学校もあり、とても難しい問題です。


日本では、まだまだ質の保障が約束されていない音楽療法の分野ですが、
ヨーロッパ、アメリカなどの音楽療法は、
様々な音楽療法の専門性を大学、大学院と臨床現場で教育され、
医療チームの一員として、患者さんのトータルケアに携わっているケースがあります。

私が直接知っているアメリカの病院では例えばNICU 産科 では音楽療法士が入り、
低体重児の体重増加のために、音楽を道具として療育目的を達成するために使います。

低体重児は、生まれてからすぐ保育器で育成され、点滴などで栄養が投与されるため、
自分で吸う、という力が備わりにくいのです。

そこで、おっぱいを吸う動きを顔の筋肉、そして体をつかって行おうとする”気持ち” を育てるために、
吸うと録音されたお母さんや家族の歌声が聞こえてくるPAL という開発された道具をつかって、
その音楽を聴きたい、お腹の中にいるときからずっと聞いていたお母さんの声がききたい、聞いたら安心する、 という赤ちゃんのモチベーションを生かして、”吸う” という行為をうながし、自力でミルクを飲む力をより早くつけさせる、ということだったり、

保育器などに隔離された新生児とお母さんとの心理的なつながりを確保するために、
音楽療法士の介入のもと、赤ちゃんの呼吸や鼓動にあわせて、歌を紡いでいくプロセスをお母さんに促し、
両者ともが、お互いの存在を近く感じ、感情的なやり取りを音楽的に行い、
それによって、あかちゃんの体重増加も増え、あかちゃんと繋がりを感じることが出来、
保育器にほとんどの時間入っているわが子にたいしても自分が何かをしてあげることが出来ている、等という体験を通して、お母さんの精神的な安定もうながしたりしています。


難聴の子どもにも、視覚だけに依存しない、感覚統合の力を伸ばすために、
矛盾するようですけれど、音をつかって療育することで、彼らの世界を広げたり、
苦手だけれど “聞こうとする力” ”ききたい” と思う気持ちを育てることで、
どうせ聞こえない、とおもって使っていなかった、わずかでも残っている聴力を 
”つかおう” ”きこう”
という気持ちにすると、耳からの情報の量は、格段に上がり脳に伝達され、
脳も、音を情報として処理する力が訓練されていきます。


言語でのコミュニケーションは、子どもはそもそも 大人ほど高くありません。

それに、”感情” という非言語な生き物。
もっと生きたい、もっとやりたい! もっとできるようになりたい、という意欲は、
出来なくて悲しい、腹が立つ、どうして自分は、、、 という気持ちにを受け止められるのは、
言葉でのやりとりには限界があります。

非言語レベルで深く働きかける音楽が、療育の現場で、
あるいは、心の問題を抱えている人のためのセッションで、
トレーニングされた音楽療法士によって、とても有効に使えることができる。

知能、認知、ことば、体、コミュニケーション力の発達のための教育・療育を
音楽を奏でるボランティアではなく、 ”専門道具” としてつかう音楽療法が、
早産低出出生体重児の発達を促すための日本のシステムに正規に組み込まれるには、、、
日本の音楽療法教育の質を上げ、層が厚くなる事でしかないのかもしれません。


養護学級など特別クラスも、生活習慣を学べる、
集団生活を経験するための貴重な体験をすることができるのですが、

それぞれのお子さんの、言語を伸ばす、コミュニケーション力を伸ばす、運動機能を伸ばす、感情のコントロールを学ぶ、などのための 言語聴覚士や、音楽療法士、心理士、OTが行うような専門的な介入を提供することが目的の場ではありません。

病院以外の、医学的な介入以外の、その子どもたちと、
病院や福祉センター、学校との提携の中で利用できる 
療育プログラムが増えていくことを、心から祈っています。




音楽とアートをつかったカウンセリングや、幼児音楽教室についてのお問い合わせやご予約は letsmusicingATgmail.comまで

音楽心理療法・ Guided Imagery and Music 個人セッション (HP)体験談

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by totoatsuko | 2013-06-16 16:12 | 音楽療法セッション例 | Comments(0)

未就学児むけ療育施設での 音と色の療育クラスの定義

一言に音楽療法 といっても、
実施される場所、団体、対象年齢、対象者のニーズによって、様々なアプローチと目的設定があります。

そして、同じ相手を前にしても、その音楽療法士が受けてきた教育と、長年の経験などのバックグラウンドにより、(例えば、行動療法的なのか、心理療法的なのか、神経学的なものなのか、等)、セッションの目的設定から、手法から、まったく異なってきます。

それゆえ、未就学児の発達に何等かの特徴があるお子さん向けの 
こころとことばの教室 (受給者証保持者は500円程度で療育プログラムを受ける事が可能)
で わたしが立ち上げの頃から行い、積み重ねてきた音楽療法はどういうものであるか一般的に説明できる文を、仲間と一緒に考え、以下のようにまとめてみました。

短い文で この教室の音楽療法とは を纏めるのは、
音楽療法が狙いとすることが、お子さんの状態によって千差万別なので、
なかなか いい言葉をみつけるのに苦労しました。

少しでも、音楽療法のことを知ってもらう助けになれば、と思います。


音と色の療育(45分間)

このプログラムは、「音楽」と「アート」の二つのセクションに分かれて構成されています。

音楽療法のトレーニングを受けた療法士が、音・音楽や色・アートを「療育を行う道具」として利用し、それぞれの子どもの成長に必要な、

認知力、
言語力(ことば)、
情緒の安定(こころ)、
身体機能の向上(からだ)、
コミュニケーション力

などの発達をバランスよく促します。

音楽療法は、音や音楽の働きかけの中から、子ども達の五感を刺激し、心と身体で感じる感情を育み、もっとお友達と関わりたい、 もっと出来るようになりたい、という意欲を育てます。

日常生活の中で自信を失いがちな子どもたちが、
楽しい音楽体験の中で、時には演奏者になったり、時には参加者になったりと、
参加者が一緒に、音楽を介しながら誰かと同じ時間と場所を共有し、自信をはぐくむことができるのです。

音楽、という 「正解」「不正解」がない世界で
主体的な音楽づくりの参加経験から、
他の人と何かをする楽しさ、
仲間の一員であると自負できるような音楽的空間の中で、
自己表現したり、他者とコミュニケーションをとったりする楽しさに気づきます。

音楽活動での成功体験の中から、積極性を伸ばし、
集団生活に大切な協調性が身についていきます。

「色」の時間も、「音」の時間と同様にアートが持つ様々な要素を療育的に用い、
子どもの創造性、主体性、そして発達を促します。


同時に子どもたちがアートプロセスを行っている時間内に
セッションリーダーが別室のミラー越しでセッションを見守る保護者の方の部屋へ移動し
セッション内で起こった療育的意味を説明したり、日々の悩みや相談を受け付けています。






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by totoatsuko | 2013-06-14 13:44 | 音楽療法セッション例 | Comments(0)

音楽療法で起こる現象を言葉で説明する

発達わんぱく会 こころとことばの教室 こっこ という1歳半~未就学児むけの療育プログラムを提供する団体で、

d0065558_14312110.jpg音楽療法 (音と色の療育)と、
お料理療育 と
早期発見目的の ミュージック&アートクラス 

上3つのプログラムの実施してきました。


音楽療法 と一言にいっても、個々人のスタイル、アプローチ、テクニック、ベースとなっている心理学や医学的知識、実施される場所の環境、セッションを受ける人のニーズ などにより、内容が全く異なってきます。

そこで、いまいちど立ち止まって、こっこの音楽療法とは何か というのを文章化しようとしています。

45分間という時間の枠に、子どもたちに対する音楽療法と保護者へのフィードバックと対話を行う時間をとるために、音のセクションと、アートを使ったセクションを時間内に設けるスタイルをとる事を決めた経緯の自分自身を振り返ると、音楽療法士であるととともに、Guided Imagery and Music Therapy という、アート・曼荼羅・立体造形 なども 音楽的な深層心理プロセスを行うための重要なツールとして学ぶ機会を与えられた、というバックグラウンドが大きいと改めて思っています。

アートの時間は、どういうマテリアル・素材をつかって、
どういう療育目的をもって子どもたちと関わってもらいたいかを、
アート系の療育や心理的アプローチをしたことがない他の専門職の方に説明して、
私は、音楽をどういう目的で使い、子どもたちがどのように音楽的であったか、
そのように音楽的であった、というのは、発達支援の視点からいうと、どういう意味の事が子どもの経験として吸収され、表出されていたのか、ということを言語で説明することを試みます。

感情や、表に出ない、言語化されない、子どもたちの生きにくさ、分かりにくさ、
子どもたちの成長の過程の特徴を、
これまた、言葉ではつくしきれない音楽の状態をからめあわせて、
相手に理解してもらえるような言葉を選びながら伝えていく。


あらためて、
”こっこの音楽療法(音と色の療育) とは” を定義しようと、ノートに向かっています。

何を私は大事にしてこれまでやってきたのか、
音楽の、子どもたちの何を信じてやってきたのか。

音楽療法士以外の専門職の方に協力してもらってつくってきたこのプログラムの特性と、注意点は・・・



一旦ことばにしたら、
その言葉で説明しようとしていた生き生きとした現場のエネルギーが、何か無機質なものに変わってしまったりして、言葉をけしては、また違う言葉を選んで組み合わせたりしています。


音楽は素晴らしい。


みんな、それは知ってる。
でも、それだけでは、なぜ音楽療法でなければいけないのか、
なぜしっかりトレーニングされた経験ある音楽療法士でなければならないのか、というのが伝わらない。



言葉にして、まとまった読み物にするのはエネルギーがいるけれど、
GIMの卒業論文をかきおえて完全燃焼した感じから随分時間がたったことですし、
また、音楽療法を言葉にしていく作業を始めてみようと思っています。




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by totoatsuko | 2013-05-28 14:56 | 音楽療法セッション例 | Comments(0)

楽譜がない音楽だって沢山ある

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世界中の音楽をみわたしたら、
楽譜がなくてなりたっている音楽が沢山あることに気づきます。

むしろ、そっちの方が多いかもしれません。
ジャズも、アフリカンも、他のいろんな民族固有の音楽も、
楽譜がなくても、即興で音楽が編み出されていく。

口頭でメロディーが伝えられ、伝承されてきた音楽もあります。


私は音楽療法を学び始める時まで、自分が演奏する、プロデュースする”音” は、
楽譜を読んで、練習して、演奏するクラッシックのみでした。

私にとって音楽とは、
楽譜に書いてあるものを、いかに芸術的に質の高い演奏に自分というフィルターを通して奏でるか、というものでしかありませんでした。

その世界しか知らなかったから、
クラッシックが、世界じゅうの日常に存在している音楽のシェアに比べたら、その一部である、
ということすら気付くこともなく、他に音楽がある、表現方法がある、というのを探そうともしなかったのだと思います。


音楽療法の勉強を始めて、
あかちゃんの泣き声すら、音がない ”無音” ですら音楽であることを学び
音楽療法セッションの中では、さまざまな要素を音楽として捉え、
相手と共に 音楽を即興でつくりあげていく という ”音楽”の形をしりました。


今でも、クラッシックは大好き!
だけど、他の音楽の世界を知ることで、もっと音楽と自由で豊かな関係を築けるようになり、
それは、私の毎日を豊かにしてくれていると感じます。


子どもたちが、クラッシック ピアニストから手ほどきをうけ始めました。
3人十色。
練習の仕方、先生の言葉の受け止め方、それぞれ全く違います。

やっぱり、指の練習なんかはつまんない。
それでも、この曲が弾けるようになるために基礎練習も頑張ろう、と思えるときはいい。

でもそうじゃない、もうヤダ! っていう感じの様子を見せる子がいたので、

どうでもいいから、楽譜関係なく一緒に弾こうよ、
と誘ったら、いっこづつ音を確かめたり、鍵盤をさがしたり、偶然できた和音を感じたり、
ほんとうに集中して、でも、自分だけの音しか聞いていないのではなくて、
私の音もちゃんとききながら、自分の音楽をつくっていて、
すごいなー、と思いました。

10分か15分くらいたって、
彼が最後の一音をおいたあと、
初めて顔をあげ私の目をみたので、
お互いに対しにっこりし合い、

「長い曲だったね~。途中のあの、ぐしゃってなったとこ、面白かったね。
またやろう。」

と、彼がいう。


赤ちゃんの頃から、遊び弾きをしていて、この子は弾くことが好きなんだな、とは知っていたけれど、
楽譜を読んで弾くことを教えられるよういなってから、とんと遊び弾きをしてる姿を見てなかったことに気づきました。


楽譜読んでその曲が弾けることで、
そういうジャンルの音楽の世界も知ることで、その世界の音楽を知る事はできる。

だけど、音楽の世界には楽譜がそもそも存在しない音楽だっていっぱいあるから、
音で遊ぶ その楽しみは、ずっと大事にしてほしいな、と思う。


大人になって、やっていい事と悪い事が分かって、
仮に理性的に物事を処理できるようになる人間になったとしても、
同時に自由な創造性を持つ無邪気でいきいきとした精神は大事にできるように。
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by totoatsuko | 2013-05-24 13:18 | 音楽療法セッション例 | Comments(0)

肢体不自由な乳児との音楽療法セッション

今日は、子どもの普段の様子をしっている人には感動的だった、肢体不自由な女の子のセッションのお話。

d0065558_216269.jpg


彼女は2歳ちょっと。
まだ自分でお座りできないし、体も1歳児くらいの大きさ。
目は開くけど、お医者さんからは見えているか・・・視力は不明と言われている。
食事も、初期の離乳食を飲む、という段階。

言語はまだ出ていなくて、泣き声のようなもの、あー、とか うーとか、そういう自己表現をする。
体も、緊張して固い状態が多く、自分の手足を思うように動かすことはできない。
おそらく、手足、指が、自分のものである、という感覚もまだ持っていないので、
だから、例えば手に何かがあたったりすると、 体を跳ねかえらせてビクっとする。

彼女は、2年数か月生きているけれど、ざっくりな発達段階は、生後数ヶ月。
言い換えれば、そういう状態で、そういう世界感を変わらず2年数か月生きてきた、ということになる。

それくらい、彼女の世界は閉じられてて、
また彼女にとって、世界は自分の心以外はまったく未知のもので、
コントロールも予測も不可能な、不安だらけの存在であるともいえる。

あんまり知らない人に抱かれるのが好きではなくて、
ー多分、慣れない抱かれ方、体の支えられ方がすごく不安なのだと思う
1回目も2回目のセッションも、お母さんから離れて私が彼女を支えたら、ふにゃぁ~ と泣き始めた。


泣き声だって、音楽。
そこにリズムがあり、フレーズがあり、イントネーションがあり、休符がある。

不安そうな表情になるお母さんと補助スタッフを横目に、
彼女の声 = 彼女の音楽 に合わせて、私も歌う。

一緒に、ふっとした休符 音の途切れる瞬間を共有したり
泣き声が全盛になって、涙もいっぱい出てきたら、こちらも本気で音楽的にぶつかっていったり
通奏低音みたいな音で、激しい泣きーエネルギー全開なメロディーラインを支える。

目を閉じて泣いていたのが、ふっと目が開く。

1回目のセッションは、私の口の方向を目で追っていた。
目が見えないはずだけど、きっと音源の方向を追っていたのだろう。

自分で何かを握る、という概念を持っていないけど
小さなマラカスを彼女の手のひらに乗せて一緒に握ったら、
勝手に動いてしまう彼女の体の動きによって、マラカスが揺さぶられ音が鳴る。
勿論、私の歌声は、常にそれらの音によりそう。

彼女が自分の手元を見る。
私が手を離しても、彼女はマラカスを握り続ける。

彼女の”主体的”な外界への興味を示す様子は、お母さんにとってもスタッフにとっても大きな驚きだった。

なぜなら、彼女は私たちに、いつも
目を閉じて眠っているか、そうでなければ泣いている、
というイメージだったから。


2回目のセッション。
前回と同じく、泣いている。
そしてふっと静かになって目をひらく。

そして、私の声を真似した!
むにゃむにゃ~ というと、同じような感じのフレーズを返してきて、そして私の声を ”待つ”
私が音を投げると、また返してくる、

そして、くくくっ と体を震わせながら 声を出して笑った!

この子にとって、人と自分の言葉をつかって”会話”したのは初めてじゃないかとおもう。
いつも、まわりが彼女がどうしてほしいか察するのに全力を挙げている、
おなかすいたの? オムツが濡れてる? なぁに? どうしたいの?

でも、音楽の中で、彼女は自由になった。
自分が ”相手に合わせて” 発信することを楽しみ、掛け合いを楽しむ。
ごきげんとりをしてもらって、ちがう~ とごねる関係ではなくて。

なんども、なんども、そのやりとりをやる。
彼女が何かを言って、歌って、
私が何かを言って、歌う。

なんだか可笑しくなって笑ったら、それにも呼応して声をたてて笑う。

楽しいね! っていう気持ちを、おんなじレベルで共感する。
共感できている感覚を、また楽しいと感じる。

1人で何かを面白がってるんじゃなくて、目の前の人と一緒に会話をしながらくくくっ って笑う。
誰も、この子がそんな事できる、って思ってなかった。

(余談ですが、声を意図的に使おうという気持ちが生まれたら、
頬や顎の筋肉も発達してきて、固形物を食べるための力も伸びて来るし、
発する音の種類の幅も広げることが可能になってきます。)

それから、ウインドチャイムを彼女の手にあてて音を鳴らしたら、
なんと! 自分の手を動かして音を鳴らしたい、という意思が生まれて
すごく不器用でゆっくりな動きなのだけど、だらんと背中の方に反れている腕を、ウインドチャイムのある自分の体の前に持ってくる。 

持ってきて音がなると、表情が変わる。
その腕を体の前にキープする能力はなくて、またはずれてしまうのだけど、
またゆっくりと腕を前にもってくる。


賞味30分くらいのセッションの最後は、2回ともだんだん眠くなって、熟睡して終了。
お昼寝した後だったみたいですが。
外界と、そんなに自発的に、そして主体的に関わる経験はそんなにないだろうから、
心地よい疲労感が生じるのも当然。


肢体不自由だと、自分では何もできない、というあきらめからいろんなことに消極的になりがちだし、
そういう受け身の生き方だと、発達に必要ないろんなことの習得に対して、意欲もあまり生まれない。

だけど、音楽療法のセッションでこういう外界との楽しい関わりを経験し、
もっとやりたい、もっと伝えたい、出来る!自分って、
そんな気持ちが育ったら、その人の人生観というか生きることの色合いが変わる。


The power of music, the power of music therapy!
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by totoatsuko | 2012-10-14 02:16 | 音楽療法セッション例 | Comments(0)

音楽心理療法 カウンセリング 体験談 1

5か月間で9回の私とのGIMセッションを体験した方がメールに書いてくれたその心の体験、心が自分が変容していく様子。
許可をいただいて、以下にシェアします。

言葉だけで行うカウンセリング・心理療法と異なり、
音楽心理療法・Guided Imagery and Music (GIM)は、そのセッション中に体験する ”イメージ体験” (自分の無意識で感じてること、気づいていることを 深いレベルで変遷意識状態で体験する)”非言語体験” が、心の変容のプロセスを力強く推し進め、サポートしてくれます。

******

「白く雪が積もる、あの山に帰りたい!!」


根底から揺さぶられるような強い衝撃、味わったことのない胸の痛み、溢れ出す涙、
鳥?木の葉?遠くから猛スピードで私の目の前に飛んできて、消えた・・・
あとはただただ苦しい胸を押さえて、号泣。


d0065558_1622341.jpg



第1回目のセッションでの出来事。
自分でも理由のわからないまま、胸の痛みだけがリアルに残った。
篤子さんの言葉は、
「自分で自分の心に気付いた(心の奥底に隠れていたものを見てしまった)
 あとは心の自然治癒力が働いてワインが熟成していくように
 ”時間”というエッセンスを使って癒していく」
というものだった。

時間を置いてセッションを続けることで、さらに深い部分へ入っていける。

変化はゆるやかにやってきた。
本人も気付かないうちに葡萄がお酒へと変化していく。

さかのぼれば幼少期、周囲の大人に植えつけられた「常識」の囲い。
その囲いから出たくてもがき苦み、
そして囲いが私と他人との関わり方を難しくする。
1歩前へ出たいのに、その1歩が出せない・・・
誰か助けて!

胸のつかえを抱えたまま数回のセッションを終える。
前へ進みたい気持ちとはうらはらにセッションで音楽が流れるたびに眠ってしまう。
私の心が扉を開きたくないのだ。
篤子さんは、
「外に出たいというけど、そんなにそこは居ごごちが悪いの?
その場所が居ごごちがいいならそこでもいいじゃない」
そうなんだ・・・このままでいいんだ!
今まで立ち止まることを誰もよしとしなかった。
初めて自分を認めてもらえた瞬間だった。

そこからは自分を確認していく作業の繰り返し。
篤子さんの音楽や言葉に導かれて、自分を解放していく。
セッションごとに思い出や、感情の波をリアルに体験。
私の綴る言葉や、絵や、粘土から、
心の声を呼び覚ます言葉を篤子さんが選ぶ。
誰も私に言ってくれなかったたった一言、一言で心が解放されていく。

いつしか苦しく感じていた胸のつかえは消えて楽に呼吸している自分がいた。
毎日が楽しく、感謝する日々に変わっていた。
いつの間に私はこんなに楽しく過ごせるようになったんだろう?
セッションを始めた半年前とはまるで別人の私がここにいる。

囲いの中にいたころは受動的に生き、
与えられるものの良し悪しで喜んだり落ち込んだりしていた。

「自分はどうしたいのか」

主体的に物事に関わって生きるのと、
受動的に生きるのでは、生きる道が全く変わってくる。

一度のセッションで終わっていたら自分の心の叫びに気付いても
どうすることもできず、ただ立ち尽くしていただろう・・・
時間をかけて心の旅をしたことで、私は今を生きる武器を手に入れ、
楽しく生きるすべを知ったのだ。


1回目のセッションで「帰りたい!」と強く願っていた場所はきっと”ありのままの自分”。
みんなに言ってあげたい。
「無理しなくていいんだよ。」
「そのままでいいんだよ。」



追伸

1回目のセッションで私の目の前に飛んできたのは、自分自身か篤子さんか、、
あの鳥?木の葉?にサポートされながら旅をしてきたような気がする。

音楽とアートを使う 心理療法・カウンセリング Guided Imagery and Music (GIM) session についてはコチラ   

個人セッションの体験談↓

1 http://totoatsuko.exblog.jp/15128616/

2 http://totoatsuko.exblog.jp/23631344/

3 http://totoatsuko.exblog.jp/23651769/


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by totoatsuko | 2011-12-18 16:18 | 音楽療法セッション例 | Comments(0)

別れ

d0065558_13162913.jpg先日、中学校を卒業以来会っていなかった人と会食してふと思った。「別れ」と一言でいっても、別れ方にはさまざまな形があり、別れた後の自分の心の状態も、千差万別だと。

死別、ケンカ別れ、同意の上の理性的な別れ、2人の問題をこえた外的要因による別れ。
別れに至るまでに二人で歩いた道のりと、別れの儀式(電話で?目をみつめあって?長い抱擁のあと?葬儀?卒業式?)によって、別れの色合いは随分と変わってくる。

悲しみや怒りにスタックして、前に進めない場合。
あまりにもそれらの感情が強いので、相手に復讐するとか、失ったものの大きさにただただ呆然として生きる気力を失うとか、何も考えられなくなるとか、生きることに悲観的になったり、人と接触したり、関係を築くことに踏み出せなくなったり。鬱になったり、身体症状(PTSDなどもそうだ)を伴うこともある。


それは、あまりにも受け入れがたい感情が自分を独占してしまわないよう、自分を壊してしまわないようにするための心の自己防衛反応。
相手に自分にある全ての非や悪、影の側面を投影することにより、自分が優位にたっている感覚を感じたり、
自分が別れによって生まれた感情によって崩壊してしまわないよう、自分の強い思い(怒りや憎しみや悲しみ)を、相手を殺したり、陥れたりすることに費やしたり、

でも、別れの際に生まれた感情を受け止めることが出来たら、別れた人との記憶が、別れの悲しみを乗り越えて、永遠となる。
その人と過ごした「時」の中で経験したこと、感じたこと、変化した自分が、別れた後も、恒常的に自分の人生に影響を与え続けていることを感じられる。肉体の存在や人間レベルでのコミュニケーションを超えて、魂のレベルで繋がっている事を感じさせられる程のもの。


生きていると、出会いと別れの繰り返しだ。セラピスト・クライアントの関係でも起こること。
だから、私はその終わりのプロセスをとても大事に扱う。毎回のセッションの終わり方、1シリーズの終わり方。そこに現れる、クライアントの終わり方、終わりに対する態度をセラピーの中で吟味することにより、無意識におこしていたパターンに気づき、変容させ、クライアントの日々の人との出会いと別れで編まれていく人生の色合いが変えることがある。

ある人は、日々の「終わりのプロセス」をとても簡素に行なっていることに気づいた。
電話を切るときも、さよならをいうときも、出来るだけ簡素に時間を使わず。相手が電話を切る前に、さよならを言う前に、電話を置く。時には、「さよなら」を明確に示さず、消えるようにその場を去り、その場にいる人と正面から別れを扱わなかったり。
日常生活していて、そんな自分のパターンには寸分も注意を払わなかったが、どうしてなのだろう?とセラピーでプロセスしていると、自分は別れや終わりが怖いのだと気づいた。別にもう相手と会えない訳でもないのだけど、なんとなくその瞬間が嫌なのだと。それは、過去の悲しい悲しみを無意識のうちに感じてしまうところから来ているのかもしれない、とも気づく。そして、その感情に気付く事によって、その人は、日々の出会いと別れの際に起こる自分の感情に注意を払い、時間をかけて「さよなら」を言ってみることを試みはじめる。そうすると、別れ際に相手と交される会話の中に、相手からの情感を感じたり、自分の相手に対する情感を伝えることが出来る様になったり、「別れ」をより意識して人と関わることにより、人との関わり方が変わっていった。

人間関係は、関係が続いている時だけのものではない。
セラピストと名乗っている人でさえ、その重要性を認識していない人が多いようだが、
別れのプロセスは、その後の自分の生き方・感じ方に「別れの前に起こったこと」の影響を左右するほど重要なものなのだ。




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by totoatsuko | 2006-12-21 23:41 | 音楽療法セッション例 | Comments(0)
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音楽療法士(GIM)のつれづれ


by totoatsuko
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