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だって何も分からないからー

だって何も分からないからー_d0065558_53061.jpg既婚者同士で結婚式の準備の話をしていた。ドレス屋を何軒まわったとか、何ヶ月前から準備始めたとか。

それで、いわゆる結婚雑誌、といわれるものを買った?という質問に
「買いましたよー、だって何も(結婚式の準備の事)分からないじゃないですかぁ」
というコメントが帰ってきて、興味深かった。しかもそう言った人が、なんとなく自分を持っていないような人だったから。

結婚式をするにあたって雑誌から、結婚式とはどういうものなのか、多くの人は、どんな感じで準備していくのか、親とか招待客に気遣うべき点は、等リサーチして、その情報に基づいて、自分らしい?結婚式を企画する。

これから自分がやろうとしている事ーこの場合結婚式、について何もわからないからまず雑誌を見ちゃったら、この人の場合、「結婚式ってこうあるべきなんだ」という先入観が入ってしまい、それが縛りになって、自分が本当に結婚式でやりたいことについて自由な発想ができなかったんじゃないのかなぁ、と思ったのでした。

それとも、そもそも自分がなくて、どうしていいか・というか自分がどうしたいかさっぱり思いつかないから、慣行に習って、雑誌が勧める内容を踏襲するのが、その人らしかったのかもしれない。

何かをやろうとするとき、まずリサーチするのか、それともまず自分がやりたい形をやってみるのか。結婚式だからやらなくてはならないこと、やってはいけないこと、というのは一般論としては存在するけれど、「自分の結婚式」には、自分のルールをあてはめてもいいのではないかと。

そもそも、自分は結婚式が本当にやりたいのか、同じお金と時間と人を巻き込むのなら、他のものに費やしたい、と思ってないか、という所から自分に問うのもありだ。

NYの癌の専門病院(Slone-Kettering Memorial Hospital)でセッションをしていた時のこと。毎朝、病院スタッフからのリファーラル(この患者さんの所に行ってセッションしてください、という要請)シートが届く。そのシートには最低限の情報(名前・部屋番号・癌の種類・その他が記載されている場合とない場合)だけ載っていて、例えば宗教は何かとか、癌の進行や治療の状況はどんな感じかとか、家族との関係とか、患者さんの心理に大きな影響を与えている情報は記載されていない。

私にはチョイスがある、その患者さんを訪れる前に。
そのリファーラルシートから得られる情報だけをもって患者さんを訪れ、患者さんと接しながら患者さんを知っていきセッションを一緒にすすめていくのか、
訪れる前に、カルテをみたり、医療スタッフや家族と話をして患者さんの情報を得てからセッションをするのか。

前者の場合、先入観から患者さんを見失うリスクは少ないが、踏んではいけない地雷を踏んでしまう可能性もある。(まぁ、踏んでしまった地雷もセッションの糧として使えばよいのですが)後者のばあい、医療スタッフや家族のみる患者像を情報として持っているがゆえに、その先入観・色眼鏡をかけて目の前にいる患者さんを捉えてしまう危険がある。


何か自分が知らないことをしようとする時、
まず、一般論や人の意見をリサーチしてから実行するのか、
とりあえず自分の直感と本能を信じてやりたいことをやてみるのか。

なんとなく、みんなが事前リサーチしてから実行してるからとか、
なんとなく、みんながとりあえず飛び込んでみた後から情報集めして軌道修正してるから、
というなんとなくな理由で何かをするのではなくて、自分が本当にやりたいことを実現するには、どういう手順を踏んでいくのが自分にはあっているのだろうか(どっちが一般的に正しい間違い、という視点ではない)、というのを意識するのって、大事ではないかな、と思ったのでした。
by totoatsuko | 2009-02-04 09:27 | Comments(9)
Commented by kawata at 2009-02-07 09:49 x
結婚式を同じ相手に2度やった私としてはとても面白かったです。
私の基準は、結婚式は手段だったので・・韓国人の妻にあわすべく、日本では私が一番好きな九段下の桜の元で、2度目は韓国で向こうの古代の結婚式にあわせチョゴリを着てご両親に土下座した記憶があります。それをどうやって決めたのか・・あんまり考えてなかったですね。自分がどうやれば楽しめるか、また自分が楽しんでいることを伝えられるかだけであった気がします。おかげで現在では私がいなくとも、私の家族と妻が楽しそうで・・ちょっとショックな瞬間もあります。
Commented by K at 2009-02-08 08:11 x
結構偏った意見だなぁ、と思いました。
そもそも一般的な日本人は、いろいろな儀式に対する知識を持っていないのが結構普通で、両親に報告は先にするかとか、結納とは何かとか、人に失礼にならないようなそういう実務的な情報を得るために雑誌を読む人とても多いと思います。彼女もそうだったのではないでしょうか。
なんとなく、いつも自分はどれだけ人より深く見ているかについて書かれているような、気がします。
そして私でしたら個人的な話をしてこういうふうにブログに書かれるのはちょっと嫌です...
Commented by SAYA at 2009-02-08 23:03 x
知人が雑誌を観たことに対して、知人の普段の印象(自分がない)ということから雑誌などの情報収集が、自分がない人の行動とも読み取れてしまうくらい飛躍した印象があります。多分、直感の価値というか大切さの話だとは思うのですが…。
礼儀や伝統などを重んじる側面にも、人によってはそこに自分らしさがあるはずですし、インスピレーションとある種の習慣的なものは2項対立で考えるのには単純な気がします。
Commented by totoatsuko at 2009-02-09 08:40
Kさん、SAYAさん、コメントありがとうございます。

すいません、結婚雑誌の話をしていた人は知っている人ではなく、街に出ていた時聞こえてきた会話です。全然知らない人。なので、私の「自分がなさそう」という印象は、あくまで私の主観的な印象で、その人が本当にそうかどうかは全く別だと思っています。私の主観は主観以上のなにものでもなく、絶対ではないですし、この投稿でこの人が本当に私の印象どおりの人かどうか、というのは私の中では重要ではなかったのです。

自分がない、結婚雑誌で情報収集、などがよくないこと、という印象を読んでいる方がもたれたというのは、私の書き方に足りないところがあるのだな、といただいたコメントを通して勉強になりました。どうもありがとうございます。

個人的には、自分がない生き方も自分を持って生き方も、どっちもありだと思っています。というか、人の生き方をこの二つに分けることはそもそも意味がない。
Commented by totoatsuko at 2009-02-09 08:41

この投稿で、結婚に関する例とNYの病院での体験を使って書きたかった、私の中で起こった自分との対話とは、すごく短くして言えば、また上手くかけるか分からないのですが・・・何となくやっている自分の行動・選択・決定 - それらを実行に移すプロセスの種類は人の数だけある。自分は、どういうプロセスを選んで一つ一つの事項を決めていっているのか、というのを意識しながら行なうのって私にとって大事だな、ということでした。
Commented by まきNY at 2009-02-12 05:25 x
あれ、本文の投稿書き直されましたか?
今回書かれたことお返事を見てそうだったのかとわかりましたよ。
が、totoatsukoの視点はいつも「私はどれだけ人よりも深く見ているのか」を強調したいのかということも結構目の当たりになった気がします。多分本当にその通りなんだろうけど、そして尊敬をして読んでいるのですが、totoatsukoさんの場合は異様にそこに視点がと価値をおき過ぎ/行き過ぎていて排他的になっているような印象が拭えないんです。そして自分の価値を高めるためにそういう自分が深く見ている点をわざと探し出すというか...
そういうのって、雰囲気でよくわかりますよね、(いままでの他の人とのやり取りを見ても、インタラクティブではないかんじ)そこが他の他人と関わっていい方向に向けようと信念で感じている他のカウンセラーとのブログと違うような、そんな気がします。他人への愛の量の違いかな? 
Commented by cheri at 2009-03-04 11:19 x
こんにちは。筆者の方が言いたい事、わかります。最近、まさにそういう体験をしました。
私はフランスでアロマを勉強したいと思っているのですが、情報を集めるうちに、「うーん、まずは日本でアロマ検定から始めた方がいいのかなー」という考えに、一瞬すり変わりました。(日本でメジャーなアロマとフランスのアロマは精油の扱い方に違いがある。)
このブログに通じることでポイントなのは、私自身は「フランスでアロマを勉強したい」という思いから色々調べていたのに、インターネットやベストセラー本など手軽に手に入るもので調べてるうちに、いつのまにか、目標がすり変わってしまいかけていたということ。
雑誌やみんなが読む本やインターネット、テレビなどで情報収集をしてると、その情報に左右されがちになり、オリジナリティが失われるのは、どんな場でも事実なんだと思います。結婚式だけでなく、仕事の企画会議でもファッションでも、なんでもそうだと思います。
でも、日本でそういうことを言うと、「私はそれにあてはまるんだけど、じゃあ私がダメってことなの?ならどこから情報収集するっていうわけ?」と受け取る人が大多数なので、反発を買うことの方が多いです。残念です。
Commented by totoatsuko at 2009-03-12 11:23
@広島です。
ある会話の中で「00と私は違う人間だから、違っていいんじゃない?どっちが正しいとか、そうじゃないとかじゃなくって。ただ違うんだ、ってことでよくないかな」的な発言をしたら「そのセリフ、すごい嫌な気持ちにさせられる」と言われました。私は、自分の考え方とか物の見方が「人と比べて」深い、よりよい、などというのはこれっぽっちも思わない。そういう「人と自分を比べる」という概念があるのは知ってるけれど。比べたら優越感とか劣等感を感じたりすることにもなる。 
Commented by totoatsuko at 2009-03-12 11:29
そういう相手に対する優越感や劣等感は、相手とのコミュニケーションを深めるには障害になりうる。そういう気持ちが、真実の相手や自分を見つめる目を曇らせてしまう。

私は、比べるんじゃなくて、相手と自分の同じ所違う所をみつめて、それをニュートラルにー自分にも相手に対してもー受け止めることで、違う考えの人間達からしか生まれない面白い会話のキャッチボールだったり視点がうまれるんじゃないか、と思っています。(あくまでも、これは私の考えであって、そうじゃない考え方が悪い、とも思っていません。念のため。)
だから、「あなたと私は違うのよね、と面と向かって言われたら、切り捨てられたような気持ちにさせられた」と言われたのはとても残念だったし、同時にとても申し訳なかったです。

私とあなた、ちがいますよね
というのを、相手の自尊心を傷つけずに伝える方法、言い回し。

ブログでも、私の文章から同じように感じる方がいらっしゃるのを思い出し、私自身が起こしている周りとのミスコミュニケーションを自省しているところです。
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