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自己制限

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マクロビオティックを勉強中・実践している人と話していて、マクロビ的食事と生活をすることを「食事制限」と捕らえている人、感じている人が少なくないことに気づく。マクロビの事を何も知らないで傍から見て「食事制限」してるように見えるのはしょうがないと思うけど、実践してる本人がそう感じるのは、もったいないなぁ、と思う。食べること、ってとっても楽しい事なのに。

マクロビやってます、と言いながら、マクロビがどういうものなのか「自分の言葉」で話せない。
先生が言った言葉の引用の繋ぎ合わせ。そのくせマクロじゃない考え方に排他的。
そんなつぎはぎの生き方は、自分らしい生き方からかけ離れてるように、私には見える。

どんなに素晴らしい教え(宗教・上司・先生・親の言葉)も理論も数値も、自分にしっくりこないのに、自分を曲げてまで「その理論の方が正し」くて「その理論を窮屈に感じる自分の感覚が間違っている」と言い聞かせるたり、それらを鵜呑みにするのは、自然ではないと思う。

教えは教え。理論は理論。万能薬はない。完璧なものはどこにもない。
そして、それらは自体生きていない。
わたし達の人生や生き方・価値観を否定しようとか、変えようという意図は持っていない。
(その考えを伝達する「人」は、そういう意図を持つかもしれないが。
伝達人や生きていない理論自体に対して、教え通りににしないからといって、わたし達が罪悪感を感じる必要もない)

デカルトの有名な「我思うゆえに我あり」 を思い出す。

教えや理論が先走りして、「自分」がなくなるなんて、変な話。

自分の感覚・それは、いわゆる「一般的にいいもの、いいこと」という価値観にもとづいて構築された理屈で誤魔化したり歪曲する対象ではないと思うから。

教えは教え。理論は理論。
自分の引き出し・知識の一つに過ぎない。
それらは、自分なりに消化して自分なりに発展させるもの。
原理に自分の人生惑わされたり、制限されられているような気持ちにさせられたら、
折角の人生、勿体ないと思う。
by totoatsuko | 2008-10-14 14:52 | Comments(0)
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音楽療法士(GIM)のつれづれ


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