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ありのままの自分の姿に罪はない

熱帯植物が、寒い場所で生きていけないことに対して、だれもその熱帯植物の性質を責めない。なぜなら、それは生まれつきのものだから。そうあるべくして、そうあるものだから。

それは、人間にもあてはまる。

人は、誰かにその存在や、性質を絶対的に完璧に否定される筋合いはない。
誰かの基準で、「自分」という人間のありように審判をくだされるなんて、もってのほかだ。
人は、ひとりひとり違うのだ。

そうはいっても、わたし達は、人との係わり合いのなかで生きているので、他人の目や評価を完全に無視することは出来ない。他人とのやりとりが、化学反応を起こし、それぞれの心に波紋をひろげ、また化学反応を起こしていき、関係が築かれていく。

それをふまえて、今日話したいことは、他にある。

わたし達は、他人に否定されて自分のありようを制限されたり、変容させられているだけではなく、自分自身が、自分自身に対して、どう関わっているのか、という事も大きい。

「ネガティブな感情を感じず、あるいは簡単に克服して、強く、いつもすがすがしく生きている人のほうが、ちっちゃい事にくよくよしている自分より、よっぽどマシな生き方をしている。」

「些細なことを気にせず、いつも人に優しく、にこやかに接していられるあの人にあこがれる。」

「いつも理路整然と物事を割り切り、どんどん仕事を進められる人は、それができない自分と比べて、優秀だ。」

「世界じゅうで繰り広げられる惨事の渦中にいる人の悲しみや怒りと比べると、私のそれなんて、ほんの些細なものだから、気にするべきではない。」

こんな視点は全て、人の表面的な行動や、自分の先入観を基準にして、自分の本当の姿を否定的に判断している。でも、自分の在りようを、人の在りようと比べて判断したり、批判する必要はないのだ、そもそも。悲しみを感じている自分の存在は、偽りのないもの。その悲しみの深さを、誰かの悲しみと比べて測るなんて、意味のないこと。感情は、本人にしか感じられないもので、自分が、悲しいと思ったら、それは悲しいのだ。そこに、大小はない。心が大粒の涙を流して泣いている、痛みを感じている、その自分の感覚が真実。

一見強くカッコよく生きているように見える人だって、本当の心の状態は誰にも分からない。
強いふりをして偽りの姿をギリギリに保って生きているだけで、一気に崩れ落ちてしまう瞬間の10分前の姿かもしれないのだ。

わたし達は、生身の こころ を持った 生物。
こころ は 生き物。理性ではコントロール出来ない、理性によって審判を下す対象ではない。
体力を失う事だってある。何もしたくないときもある。醜い姿になることだってある。
それが、生きている証。

誰かと比べたり、社会のルールをあてはめて自分の心の在りように批判的になるのではなく、自分の心の性格・性質・状態を そのまま受け止めてあげてみてはどうか?

いい・悪い、と判断しなくていい。
感じるままに、素直に。そうしたら、新しい自分との関係が築ける。そうしたら、世界が違って見える。
by totoatsuko | 2006-12-20 23:56 | 日々感じたこと | Comments(0)
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