家族 という場所
日本で生活する、日本人のお父さんは、子供と週末くらいしか会わない
つまり朝早く出て夜遅く帰ってくる
のが、多いらしい。
「おじさん、また来週末くるの?」なんて子供のセリフはシャレにならない。
格差社会がテーマのパネルディスカッションに出るために、そのことについて思いをめぐらせているのだけれど、今 日本人には ありのままの素の自分の 「帰る場所」がないのかもしれない、とふと思った。
お父さんは、どこかの会社に勤める、あるいは働く、という人生のある一定期間する事に対して、その期間は仕事が最優先として生活スタイルを築く。家族と過ごすのは、「家族サービスデー」で家族のためにやっているという認識。
そういう父親、あるいは母親をモデルと仰いで育った子供達は、家族と過ごす時間を楽しいと心から思わないし、意味を見出せないだろうから、将来やっばり同じように、仕事ですごす時間が、家族との時間より優先順位が100ポイント位高くなってしまうのだろう。
しかし、仕事をやめたとき、仕事から離れた時、(それは病で倒れた時かもしれないし、退職、転職するときかもしれない)そういう風に生きてきた人たちの集まりの家族には、帰る場所がないんじゃないか、と感じた。いい上司でも、部下でも、売上ナンバーワンの営業マンでなくても、自分の存在を受け入れてくれる場所、心から心の緊張をとき、素の自分であれる場所。家族という他人でありながら深い情感を交わし繋がれる人 (そうなれない人たちもいっぱい居るけど)との関係・場所の不在。
それって辛いだろうな、相当。
仕事は結局仕事に過ぎないのだ。仕事が人生を作ってはくれない。自分の心を利害関係なしに親身になって理解しようとし、支えてくれるわけでもない。分かっていても、他に自分にとって価値があるものを知らないから、あるいは社会的な制限・プレッシャーを感じるから、自分にとって本当に大事なことに時間を使うのがはばかられるのかもしれない。
「家族サービス」しているつもりの人、それは「自分のため」なんですよ。
家族と時間と空間と心を共有しないと、その親は、本来は充実した深いものを共有することができるパートナーや自分の子供がもつ世界に、いつしか立ち入れない、もしかしたら足を入れることすら拒否される存在になってしまうかもしれないのだから。
それって、考えてみたらとても悲しいことではないか?
「家族」という、素の自分が心を休め、深いサポートを得られることが出来うる場所なのに。
自分が辛い時、死ぬ時、仕事は心をサポートしてくれない。
仕事は、働いている自分、しか ある意味認めてくれない。
シゴトの場とかそこで受ける評価だけじゃないはず、自分は、自分の人生は。
大事な人との心の繋がり、それは一瞬では築かれない、お金では買えない、人生をかけて培っていくものこそ、自分が 弱く感じた時 もっともありがたく 感じるのではないだろうか。
縁があって家族となった、恋人となったひとたちと、「心」のつながりが「魂」のレベルでのつながりを創っていくプロセスでは、時に怖いこともあるかもしれないが、今 この地 この世界 この時間に 生 を共有している もっとも身近な人と深くつながるその感覚はなににでもかえられないものだ。
つまり朝早く出て夜遅く帰ってくる
のが、多いらしい。
「おじさん、また来週末くるの?」なんて子供のセリフはシャレにならない。
格差社会がテーマのパネルディスカッションに出るために、そのことについて思いをめぐらせているのだけれど、今 日本人には ありのままの素の自分の 「帰る場所」がないのかもしれない、とふと思った。
お父さんは、どこかの会社に勤める、あるいは働く、という人生のある一定期間する事に対して、その期間は仕事が最優先として生活スタイルを築く。家族と過ごすのは、「家族サービスデー」で家族のためにやっているという認識。
そういう父親、あるいは母親をモデルと仰いで育った子供達は、家族と過ごす時間を楽しいと心から思わないし、意味を見出せないだろうから、将来やっばり同じように、仕事ですごす時間が、家族との時間より優先順位が100ポイント位高くなってしまうのだろう。
しかし、仕事をやめたとき、仕事から離れた時、(それは病で倒れた時かもしれないし、退職、転職するときかもしれない)そういう風に生きてきた人たちの集まりの家族には、帰る場所がないんじゃないか、と感じた。いい上司でも、部下でも、売上ナンバーワンの営業マンでなくても、自分の存在を受け入れてくれる場所、心から心の緊張をとき、素の自分であれる場所。家族という他人でありながら深い情感を交わし繋がれる人 (そうなれない人たちもいっぱい居るけど)との関係・場所の不在。
それって辛いだろうな、相当。
仕事は結局仕事に過ぎないのだ。仕事が人生を作ってはくれない。自分の心を利害関係なしに親身になって理解しようとし、支えてくれるわけでもない。分かっていても、他に自分にとって価値があるものを知らないから、あるいは社会的な制限・プレッシャーを感じるから、自分にとって本当に大事なことに時間を使うのがはばかられるのかもしれない。
「家族サービス」しているつもりの人、それは「自分のため」なんですよ。
家族と時間と空間と心を共有しないと、その親は、本来は充実した深いものを共有することができるパートナーや自分の子供がもつ世界に、いつしか立ち入れない、もしかしたら足を入れることすら拒否される存在になってしまうかもしれないのだから。
それって、考えてみたらとても悲しいことではないか?
「家族」という、素の自分が心を休め、深いサポートを得られることが出来うる場所なのに。
自分が辛い時、死ぬ時、仕事は心をサポートしてくれない。
仕事は、働いている自分、しか ある意味認めてくれない。
シゴトの場とかそこで受ける評価だけじゃないはず、自分は、自分の人生は。
大事な人との心の繋がり、それは一瞬では築かれない、お金では買えない、人生をかけて培っていくものこそ、自分が 弱く感じた時 もっともありがたく 感じるのではないだろうか。
縁があって家族となった、恋人となったひとたちと、「心」のつながりが「魂」のレベルでのつながりを創っていくプロセスでは、時に怖いこともあるかもしれないが、今 この地 この世界 この時間に 生 を共有している もっとも身近な人と深くつながるその感覚はなににでもかえられないものだ。
by totoatsuko
| 2006-09-15 23:40
| 日々感じたこと
|
Comments(3)
Commented
by
ともつん
at 2006-09-16 09:24
x
はじめまして。mixiの音楽療法のコミュを見て、それからこちらのブログを読ませていただくようになりました。
とっても興味深いです。
ところで、こちらのブログをケータイで見ることは出来ませんか?
パソコンを開く機会が少なくて、ケータイでもこちらのブログを読みたいと思ったものですから。
とっても興味深いです。
ところで、こちらのブログをケータイで見ることは出来ませんか?
パソコンを開く機会が少なくて、ケータイでもこちらのブログを読みたいと思ったものですから。
0
Commented
by
totoatsuko at 2006-09-16 22:13
はじめまして、ともつん さん。 携帯からでも見ること出来ます、URLhttp://totoatsuko.exblog.jp/ から。
Commented
by
takekurakenya at 2007-08-06 22:25
特に最後の一文、全く同感です。
僕は幸運なことに2年間の留学期間でwork life balanceについてゆっくりと考える時間がありました。結論は、「家庭があっての仕事」。当たり前のようでいて、キャリアを突き詰めるあまりに仕事に没頭しすぎて、気づいたときには本当に自分にとって大事なもの、幸せから遠ざかってしまっていることって良くあると思います。
留学前には想像もしませんでしたが、帰国後に第二子が誕生したときは迷わず育児休職を選択しました(2週間だけでしたが)。これからもこの優先順位だけは決して忘れずにキャリアと家族を両立させていきたいと思っています。
http://takekura.exblog.jp/2397386/
http://takekura.exblog.jp/3800098/
旦那様と同じ号のプレジデントに掲載された読者より
僕は幸運なことに2年間の留学期間でwork life balanceについてゆっくりと考える時間がありました。結論は、「家庭があっての仕事」。当たり前のようでいて、キャリアを突き詰めるあまりに仕事に没頭しすぎて、気づいたときには本当に自分にとって大事なもの、幸せから遠ざかってしまっていることって良くあると思います。
留学前には想像もしませんでしたが、帰国後に第二子が誕生したときは迷わず育児休職を選択しました(2週間だけでしたが)。これからもこの優先順位だけは決して忘れずにキャリアと家族を両立させていきたいと思っています。
http://takekura.exblog.jp/2397386/
http://takekura.exblog.jp/3800098/
旦那様と同じ号のプレジデントに掲載された読者より