セラピストの心 I
土煙がまうところで肉体労働をするひとが、一日の終わりにシャワーすら浴びないで眠りにつくことなどありえないように、心を扱う者がセラピーに行かないのはありえないこと。
セッションの過程で「セラピストの」心がどう刺激され、
どんなCounter-transference (クライアントの対話にたいして過去の関係や出来事に対する感情がよみがえりクライアントやクライアントが話している状況に自分の個人的な感情移入をすること),
projection(クライアントをセラピストの知っている誰かを投影すること)が起き、
それがセラピストが、瞬間・瞬間で 無意識・意識的に選ぶセッションの方向性とか、演奏する音とか、発せられる言葉に反映されているのか、自分でも振り返るし、自分のためのセラピーでもプロセスするし、スーパービジョン(=経験のある人と対話して吟味する)によって新たな発見や学びがある。
アメリカの音楽療法学会では、セラピストの心の中の何が、どういうIntervention = セラピストとしてのアクションをとらせたのか、Counter-transference, projectionをどう利用したか、という研究発表があったし、それについての本を出している人も何人かいる。(日本の学会は、セラピストの自分の心のAwareness (=自覚・認識 とでも訳そうか)の重要性を認識していないに等しいので、このテーマを語った発表内容を応募してもまず選ばれないだろうな。。。)
大事なことなのに。
私はカウンセリングに興味がある、神経科学者です。
以前、クリスチャンのカウンセリングのセミナーに行ったとき、カウンセラー同士のカウンセリングの必要がある、と先生は言っていました。カウンセリングする方はかなり心に応えると思いました。カウンセラー・セラピストも心が健全でいるため方法を見いだす必要があるのですね。
健全 というと 健全って何?って私はおもうので、(とくに 「健全な若者」「健全な生活」という使われ方をしているとき)、どちらかといえば、心のメインテナンスを怠らない、というほうがしっくりきます。