信用すること
崩壊した共産主義の腐敗した政府は、マルクスは、人民をそして、自分たち自身を信用していなかったんじゃないか、とふと思った。
政府という名のものに、全て - 値段、仕事、財産、政策、を決定し、人々に何も選ばせなかったのは、もし、個々人がよいと思う意思決定をしていくと、エゴがぶつかり合って結果的に皆が不幸になる、と勘違いしていたのかもしれない。だから、「恐怖」という感情をつかって、人民を手中におこうとしたのかもしれない。
でも、実際起こったのは総労働力の低下(頑張れば何かを得ることが出来る、という動機がない)、クリエーティビティー=斬新なアイデアの欠如からくる行き詰まり、お互いに対する不信感(一人だけ出しぬこうったって、そうはいかないぞ)、そして、弾圧されるかもしれない、という恐怖。
信じることが、とても怖いこともある。
相手をよく知らないから。
裏切られるかもしれないから。
信じていることが、否定されるかもしれないから。
信じるには、エネルギーが、忍耐強さがひつようだから。
でも、信じて、待たないと生まれないこともある。
信じてくれている、と感じないと、前に進めないことがある。
障害がある人に対して何も分かっていないから、と思って接していたら、絶対その人と心のつながりは起きないだろう。でも、その人の内側に秘められているものを信じてそのひとに寄り添えば、何かが起こる。何かは分からないけれど、、、分かるほど簡単なことじゃない何か。
以前、生まれてから15年間変遷意識状態の人とセラピーセッションをしていたとき、私は特別に何かが起こることを期待していなかったけれど、彼女が私の音楽を聴いていて、それに彼女なりに接していることは信じていた。私の目に見えるものが、たとえ、些細なつま先の動きであろうと、息のテンポの変化であろうと。その結果、ある日彼女は、音楽の途中で顔を真っ赤にしながら起き上がったのだ。
自分の中心を失わず、主観的な期待を押し付けず、無条件にクライアント信じること、
それは、セラピストのみならず、親や先生、アドバイザー、人が育っていく過程を見守る立場の人、あるいは、自分自身の成長を見守る自分にとって、とても大事な要素だと思う。
政府という名のものに、全て - 値段、仕事、財産、政策、を決定し、人々に何も選ばせなかったのは、もし、個々人がよいと思う意思決定をしていくと、エゴがぶつかり合って結果的に皆が不幸になる、と勘違いしていたのかもしれない。だから、「恐怖」という感情をつかって、人民を手中におこうとしたのかもしれない。
でも、実際起こったのは総労働力の低下(頑張れば何かを得ることが出来る、という動機がない)、クリエーティビティー=斬新なアイデアの欠如からくる行き詰まり、お互いに対する不信感(一人だけ出しぬこうったって、そうはいかないぞ)、そして、弾圧されるかもしれない、という恐怖。
信じることが、とても怖いこともある。
相手をよく知らないから。
裏切られるかもしれないから。
信じていることが、否定されるかもしれないから。
信じるには、エネルギーが、忍耐強さがひつようだから。
でも、信じて、待たないと生まれないこともある。
信じてくれている、と感じないと、前に進めないことがある。
障害がある人に対して何も分かっていないから、と思って接していたら、絶対その人と心のつながりは起きないだろう。でも、その人の内側に秘められているものを信じてそのひとに寄り添えば、何かが起こる。何かは分からないけれど、、、分かるほど簡単なことじゃない何か。
以前、生まれてから15年間変遷意識状態の人とセラピーセッションをしていたとき、私は特別に何かが起こることを期待していなかったけれど、彼女が私の音楽を聴いていて、それに彼女なりに接していることは信じていた。私の目に見えるものが、たとえ、些細なつま先の動きであろうと、息のテンポの変化であろうと。その結果、ある日彼女は、音楽の途中で顔を真っ赤にしながら起き上がったのだ。
自分の中心を失わず、主観的な期待を押し付けず、無条件にクライアント信じること、
それは、セラピストのみならず、親や先生、アドバイザー、人が育っていく過程を見守る立場の人、あるいは、自分自身の成長を見守る自分にとって、とても大事な要素だと思う。
by totoatsuko
| 2006-06-23 09:10
|
Comments(0)