では資本主義は?
友人たちとの会話は続く。
「まだ僕たちの世代はいい。共産主義が大学に行く前に崩壊したから、若いうちに新しい世界感・概念を取り入れ、対応していくことができた。でも、親の世代はそうはいかない。変化についていけないし、いまでもまだコミュニズムがよかったと本気で思っている人がたくさんいる」
日本も似てるなぁ~。
暗黙の了解だった終身雇用制度が崩れたとき、たくさんの人が自殺していた。
奥さんに会社を解雇されたことが言えず、毎日手作り弁当を持って、スーツを着て会社に行くフリをして公園で時間つぶし。それまで、仕事一辺倒で家族との関係をきずいてこなかったせい。誰が悪いわけでもないけれど、悲しい。一緒に住んでいて、そこまで心が離れてしまうなんて。
資本主義の国で育った一人が言う
「不思議なのは、どんな優秀なひとたちも、当時だれも共産主義を疑わなかったこと。」
きっとそれは、心の底で、あるいは無意識に疑っていたかもしれないけれど、それを口にすると、社会全体から虐待されるという恐怖に、その存在をかき消されてしまっていたからなのだろう、と思う。
「それを言うなら、私たちは資本主義をうたがってないじゃない?」そう私が言うと、
「それはちょっと違って、明らかに共産主義社会よりいいと思っているけれど、完璧なシステムだとは誰も(多分アメリカ人以外)信じていないのが社会主義者との差。それに、資本主義といっても、国ごとに随分ちがうシステムでやることを皆認めている。」
そっか。
でも、日本に住んでいる日本人でどれだけ自分と自分が属している社会について考えたことがあるだろう?少なくとも、私は学校でそういうチャンスを与えられなかった。
「自分が何がしたいか、どう感じているか知らない方が楽なのも事実だよ。与えられたものをこなして、静かでささやかな幸せに満たせれて生きるのが好きならば。でも、それは僕にはあてはまらない。もっと世界を見たいし、自分で人生を創っていきたい。」
自分がどう感じているかを知るのには、痛みが伴うことがある。
それは、セラピストとしてクライアントの心の旅に寄り添っている時、自分の気持ちに素直になったときの経験からよく分かる。そして、私は共産主義で生きるか資本主義で生きるかは、個人の自由だと心から思っているけれど、すくなくとも自分はどんな社会、家族、自分自身に属しているのか知ることは、とても大事なことだと思っている。
知った上で、どんな主義で生きていきたいか決めればいい。
でも、自分が何が好きで、どんな風に生きていきたいか、そんなことを寸分も考えず人生を送っている人は驚くほど多い。それに、自分のことは全部分かっている、と信じて疑っていない人達も。結構、自分のしらない自分に、知らないということを知らないがゆえに、知らないうちに左右されて生きている人がいると思うんだけど。
塩のしょっぱさを、からしの辛さを、酢のすっぱさを知った人にしか味わえない、甘さがあること。いつも、いい気分な自分だけでいたら、いつか心がバランスを崩す。他の色の存在を知っているから、例えば「赤」の本当のうつくしさ、いとおしさがわかる。心にはさまざまな側面があるのだから、どんなネガティブと決め付けられているものに対しても、向かい合ってみることで、きっと人生は、自分自身は、より自分らしくなれる。
「まだ僕たちの世代はいい。共産主義が大学に行く前に崩壊したから、若いうちに新しい世界感・概念を取り入れ、対応していくことができた。でも、親の世代はそうはいかない。変化についていけないし、いまでもまだコミュニズムがよかったと本気で思っている人がたくさんいる」
日本も似てるなぁ~。
暗黙の了解だった終身雇用制度が崩れたとき、たくさんの人が自殺していた。
奥さんに会社を解雇されたことが言えず、毎日手作り弁当を持って、スーツを着て会社に行くフリをして公園で時間つぶし。それまで、仕事一辺倒で家族との関係をきずいてこなかったせい。誰が悪いわけでもないけれど、悲しい。一緒に住んでいて、そこまで心が離れてしまうなんて。
資本主義の国で育った一人が言う
「不思議なのは、どんな優秀なひとたちも、当時だれも共産主義を疑わなかったこと。」
きっとそれは、心の底で、あるいは無意識に疑っていたかもしれないけれど、それを口にすると、社会全体から虐待されるという恐怖に、その存在をかき消されてしまっていたからなのだろう、と思う。
「それを言うなら、私たちは資本主義をうたがってないじゃない?」そう私が言うと、
「それはちょっと違って、明らかに共産主義社会よりいいと思っているけれど、完璧なシステムだとは誰も(多分アメリカ人以外)信じていないのが社会主義者との差。それに、資本主義といっても、国ごとに随分ちがうシステムでやることを皆認めている。」
そっか。
でも、日本に住んでいる日本人でどれだけ自分と自分が属している社会について考えたことがあるだろう?少なくとも、私は学校でそういうチャンスを与えられなかった。
「自分が何がしたいか、どう感じているか知らない方が楽なのも事実だよ。与えられたものをこなして、静かでささやかな幸せに満たせれて生きるのが好きならば。でも、それは僕にはあてはまらない。もっと世界を見たいし、自分で人生を創っていきたい。」
自分がどう感じているかを知るのには、痛みが伴うことがある。
それは、セラピストとしてクライアントの心の旅に寄り添っている時、自分の気持ちに素直になったときの経験からよく分かる。そして、私は共産主義で生きるか資本主義で生きるかは、個人の自由だと心から思っているけれど、すくなくとも自分はどんな社会、家族、自分自身に属しているのか知ることは、とても大事なことだと思っている。
知った上で、どんな主義で生きていきたいか決めればいい。
でも、自分が何が好きで、どんな風に生きていきたいか、そんなことを寸分も考えず人生を送っている人は驚くほど多い。それに、自分のことは全部分かっている、と信じて疑っていない人達も。結構、自分のしらない自分に、知らないということを知らないがゆえに、知らないうちに左右されて生きている人がいると思うんだけど。
塩のしょっぱさを、からしの辛さを、酢のすっぱさを知った人にしか味わえない、甘さがあること。いつも、いい気分な自分だけでいたら、いつか心がバランスを崩す。他の色の存在を知っているから、例えば「赤」の本当のうつくしさ、いとおしさがわかる。心にはさまざまな側面があるのだから、どんなネガティブと決め付けられているものに対しても、向かい合ってみることで、きっと人生は、自分自身は、より自分らしくなれる。
by totoatsuko
| 2006-06-22 18:02
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