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灰色の海で遊ぶ

小雨がすこし中断したので、電車をおりて海岸線をあるくことにした。

すると、子どもたちが海に降りていく階段をみつけて駆けおりていく。

そのまま一直線に、波打ち際で波とたわむれ始める。

灰色の海で遊ぶ_d0065558_11132189.jpg


着替えを持っていなかったから、あわてて、はだしになりなよ、ズボンも脱いだら? と提案したら、
よっしゃー、 と張り切って、そのまま海の中にみんな突入していった・・・

波に向かって、叫んで、波に挑戦状をおくる。

大きな波がきても立っていられたら誇らしげ、
足をとられて水の中にたおされたら、可笑しくってきゃっきゃと笑って、
それを、曇り空のした、灰色の景色の中で永遠に続けてる。

私も、はだしになって走り回りたかったけど、
波に夢中になってどんどん深いところに行こうとする子どもたちに、
もうちょっと戻ってきて、と時折声をかけながら、気にかけていないといけない気持ちがあって、
浜辺の小さな山になっているところから、風景を眺める。

波の音と、子どもの声だけが聞こえる。
ときおり、雲が薄くなって、ぼにゃりと明るい光が沖合の水面を照らし、小さな無数の光の玉が水面を覆うが、
それも、また分厚い雲にさえぎられてしまう。

ふと、我にかえったのか、寒い~ と波打ち際から上がってきたので、濡れたシャツと下着を脱がせ
ハンドタオル(しか持ってない・苦笑)で水を拭き、砂を払い、唯一濡れていないジャンパーを素肌に着させる。
次男は、ズボンもびしょびしょにしてしまっていたので、ジャンパーと私のハンカチを腰に巻いて下半身を覆う。

服を着た子供たちは、今度は、穴を掘って落とし穴を作るプロジェクトを始める。
それぞれが、穴を隠すのに最適と思われる貝や木片などを集めてきて、穴を覆う。
たくらみ顔で、私の顔を時折みにくる、まだだよ、ちょっとまっててね。

本でも持ってくればよかったのだけど、
まさか、海であそぶことになるなんて思っていなかったから、、、
今度は、目をとじて、風と匂いと音を感じてみた。

できたよ~! きてきて、上を歩いてみて。
穴がみえみえな、スカスカな覆いなんだけど、そこを大人が歩いて、というか覆いの木を突き破って穴に足を落とすと、大喜び。

おなかが減った、というので、海に降りてくるための坂にお弁当箱を置いて、立って食べる。子どもは、遊びながら食べる。

ビーチでパラソルひらいて、って感じのステキな感じじゃなくって、
灰色の雲の下、灰色の海を見ながら、なんか面白いおにぎりをほおばる感じでした。

服を着てるのに、また波に向かっていく子どもたち、
でも、もう、それが濡れたらハダカで帰るしかなくなってしまうので、
折角の好奇心からの行動を止めるのは残念だったけど、やめてもらって、
ひとしきり食べ終わってその場を離れる。



波の前では、どっちが勝ちとか、上手とか、そういう話がなくなるんですね。
競っても、どうしようもない相手だもんね。
それより、一緒になって遊んだほうが楽しい。

波に話しかけてる子どもをみていたら、波が人格化されて見える。
大きくて、大きな波打ち際の白い跳ね返りをする波、
大きいのに、ソフトランディングする波、
おおきく来そうに遠目ではみえたけど、近くにくると、小さな波だったり。

話かけたくなる。

私たちが来る前も、去った後も、ずっとずっと波は浜にやってきて、去っていく。
私たちが生まれる前も、死んだあとも、
私が悲しいときも、うれしいときも。


季節外れの海あそび。
子どもにとっては、季節外れ、とか関係なく、
サッカーの試合に勝ったとか、何か達成物をつくった、という成果物の形はないんだけど
その時間そのものの感情体験が、一枚一枚ヒトの心には残っていって、その人の一部として吸収され、その人の生き方に、日常の小さな ”チョイス” に反映されていくのだろう、と思いました。
by totoatsuko | 2012-10-29 11:40 | Comments(0)
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音楽療法士(GIM)のつれづれ


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