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肢体不自由な乳児との音楽療法セッション

今日は、子どもの普段の様子をしっている人には感動的だった、肢体不自由な女の子のセッションのお話。

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彼女は2歳ちょっと。
まだ自分でお座りできないし、体も1歳児くらいの大きさ。
目は開くけど、お医者さんからは見えているか・・・視力は不明と言われている。
食事も、初期の離乳食を飲む、という段階。

言語はまだ出ていなくて、泣き声のようなもの、あー、とか うーとか、そういう自己表現をする。
体も、緊張して固い状態が多く、自分の手足を思うように動かすことはできない。
おそらく、手足、指が、自分のものである、という感覚もまだ持っていないので、
だから、例えば手に何かがあたったりすると、 体を跳ねかえらせてビクっとする。

彼女は、2年数か月生きているけれど、ざっくりな発達段階は、生後数ヶ月。
言い換えれば、そういう状態で、そういう世界感を変わらず2年数か月生きてきた、ということになる。

それくらい、彼女の世界は閉じられてて、
また彼女にとって、世界は自分の心以外はまったく未知のもので、
コントロールも予測も不可能な、不安だらけの存在であるともいえる。

あんまり知らない人に抱かれるのが好きではなくて、
ー多分、慣れない抱かれ方、体の支えられ方がすごく不安なのだと思う
1回目も2回目のセッションも、お母さんから離れて私が彼女を支えたら、ふにゃぁ~ と泣き始めた。


泣き声だって、音楽。
そこにリズムがあり、フレーズがあり、イントネーションがあり、休符がある。

不安そうな表情になるお母さんと補助スタッフを横目に、
彼女の声 = 彼女の音楽 に合わせて、私も歌う。

一緒に、ふっとした休符 音の途切れる瞬間を共有したり
泣き声が全盛になって、涙もいっぱい出てきたら、こちらも本気で音楽的にぶつかっていったり
通奏低音みたいな音で、激しい泣きーエネルギー全開なメロディーラインを支える。

目を閉じて泣いていたのが、ふっと目が開く。

1回目のセッションは、私の口の方向を目で追っていた。
目が見えないはずだけど、きっと音源の方向を追っていたのだろう。

自分で何かを握る、という概念を持っていないけど
小さなマラカスを彼女の手のひらに乗せて一緒に握ったら、
勝手に動いてしまう彼女の体の動きによって、マラカスが揺さぶられ音が鳴る。
勿論、私の歌声は、常にそれらの音によりそう。

彼女が自分の手元を見る。
私が手を離しても、彼女はマラカスを握り続ける。

彼女の”主体的”な外界への興味を示す様子は、お母さんにとってもスタッフにとっても大きな驚きだった。

なぜなら、彼女は私たちに、いつも
目を閉じて眠っているか、そうでなければ泣いている、
というイメージだったから。


2回目のセッション。
前回と同じく、泣いている。
そしてふっと静かになって目をひらく。

そして、私の声を真似した!
むにゃむにゃ~ というと、同じような感じのフレーズを返してきて、そして私の声を ”待つ”
私が音を投げると、また返してくる、

そして、くくくっ と体を震わせながら 声を出して笑った!

この子にとって、人と自分の言葉をつかって”会話”したのは初めてじゃないかとおもう。
いつも、まわりが彼女がどうしてほしいか察するのに全力を挙げている、
おなかすいたの? オムツが濡れてる? なぁに? どうしたいの?

でも、音楽の中で、彼女は自由になった。
自分が ”相手に合わせて” 発信することを楽しみ、掛け合いを楽しむ。
ごきげんとりをしてもらって、ちがう~ とごねる関係ではなくて。

なんども、なんども、そのやりとりをやる。
彼女が何かを言って、歌って、
私が何かを言って、歌う。

なんだか可笑しくなって笑ったら、それにも呼応して声をたてて笑う。

楽しいね! っていう気持ちを、おんなじレベルで共感する。
共感できている感覚を、また楽しいと感じる。

1人で何かを面白がってるんじゃなくて、目の前の人と一緒に会話をしながらくくくっ って笑う。
誰も、この子がそんな事できる、って思ってなかった。

(余談ですが、声を意図的に使おうという気持ちが生まれたら、
頬や顎の筋肉も発達してきて、固形物を食べるための力も伸びて来るし、
発する音の種類の幅も広げることが可能になってきます。)

それから、ウインドチャイムを彼女の手にあてて音を鳴らしたら、
なんと! 自分の手を動かして音を鳴らしたい、という意思が生まれて
すごく不器用でゆっくりな動きなのだけど、だらんと背中の方に反れている腕を、ウインドチャイムのある自分の体の前に持ってくる。 

持ってきて音がなると、表情が変わる。
その腕を体の前にキープする能力はなくて、またはずれてしまうのだけど、
またゆっくりと腕を前にもってくる。


賞味30分くらいのセッションの最後は、2回ともだんだん眠くなって、熟睡して終了。
お昼寝した後だったみたいですが。
外界と、そんなに自発的に、そして主体的に関わる経験はそんなにないだろうから、
心地よい疲労感が生じるのも当然。


肢体不自由だと、自分では何もできない、というあきらめからいろんなことに消極的になりがちだし、
そういう受け身の生き方だと、発達に必要ないろんなことの習得に対して、意欲もあまり生まれない。

だけど、音楽療法のセッションでこういう外界との楽しい関わりを経験し、
もっとやりたい、もっと伝えたい、出来る!自分って、
そんな気持ちが育ったら、その人の人生観というか生きることの色合いが変わる。


The power of music, the power of music therapy!
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by totoatsuko | 2012-10-14 02:16 | 音楽療法セッション例 | Comments(0)
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