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指導力がないのは、神話の時代から

日本神話関連の本をよんだり、
河合隼雄がそれらについて書いているものをよんだりしながら、
読み込んだものが、自分のなかで発酵していくのを観察している感じの日々です。

引用するだけじゃつまらないし、
自分の経験とブレンドされないまま、自分の表面に付着した「知識」を書いてもつまらない。

発酵中なので、なかなか「まとまった自分の考え」を書くに至らないのですが、
今日は、なにかと 日本のトップが リーダーシップを発揮していない、指揮する能力がない、
と批判されている記事を読んで、

でも、そういうのは日本神話の時代からなのだし
そして、そういう人を自分たちで選んできたではないか、と思った。

自分たちで選んでおいて、
大変な状況となったら 
自分たちが被害者のような顔をして選んだ人を批判する態度は好きではない。


こういうときは、あら捜しや、うまくいってない事を批判する時間があったら
一丸となって、日本がよくなるためにみんなで考え行動することに注力したいものだ。

それに、近代自我が確立された西洋文化にみられる
強力なリーダーシップ と日本のリーダーを比べるのは筋ちがい 

人の心が育つ環境も、
人に求められる心の状態も、ちがっているのだから。


河合隼雄によると、古事記や日本書紀に記された
神話にみられる、その時そのときの物事の中心は常に空洞であった、とのこと。

まず、日本という島が、イザナミ・イザナギによって作られるまえのまえ、
この世がうまれたのは、
アメノミナカヌシ と タカミムスヒ と カミムスヒ の神があらわれたところから始まる。

ここで、すでに 誰か一人の強力な独り神ではなく、3神である、というところから
力の分散がみられる。

そのうえ、これほど重要(この世を誕生させる、という行為)なことをなしたはずなのに、
その後は、この3神についてほとんど記述がないどころか、すぐ身をを隠した、と書かれているそうだ。英雄的な扱いもされてない。人々の賞賛とか・・・もう、そんなちっちゃなものをとおりこした、おおきな おおきな かたちのない 存在であることをしめしているのではないかとおもう。 私たちが、大自然をまえに いきをのみ 畏れ 立てまずかずにはいられないような存在。

そして、その後 イザナギ・イザナミ夫婦が天から下を見下ろして、
長い矛でしたの方をかき混ぜてみると、矛の先から水滴が落ち、それが本州になった、とある。


その後、イザナギから生まれたのが、 ツクヨミ・スサノオ・アマテラス の3神である。
最終的にアマテラスは天を、スサノオは地・地下の世界を納めるのだが、
ツクヨミに関する記載は、またほとんどないらしい。

しかし、ここでも、無為なツクヨミの存在を感じながらアマテラスとスサノオは、
その関係を保持・展開していくことができている - 言い方を変えれば
アマテラス VS スサノオ という明確な対立や、善悪というレッテルをはっきりさせることなく
神話は展開していっているそうだ。

また、天の主であるアマテラスだが
例えばゼウスのような強いパーソナリティーではなく、
いじけて岩穴に逃げ込んで、他の神々たちを困らせたり
自分の意見はハッキリもたず、他の神々のアドバイスや意見を割と簡単に鵜呑みにしたり、
と、天の世界でのダイナミックスでも、アマテラスは空洞という役割をなしている、と言えるかもしれない。

そして、そのようなアマテラスが、
日本人の間ではとても慕われ、彼女を祀った神社は沢山みられる。


中心が、強力なものを発しないことによって、
周りの者たちが意見を言いやすくなったり、行動を起こしやすくなったり
物事があいまいなかたちで、しかし大きな衝突や殺し合いを成さずに変化していく

というのを神話の時代から、日本人はやってきた。

ただ、今の時代は西洋文化にとどまらず、
ありとあらゆる価値観や自我のあり方が日本人・日本国に提示され
あいまいな自我であることを ”無自覚に”あいまいにたままであると、
国のこれから、日本人の心のこれからは危機にさらされていくのかもしれない。
いや、それとも、このまま あいまいに私たちは生きていくのか、次世代につなげていくのか。

表面的には、西洋っぽくなった。
西洋文化が取り入れられ、日本流に消化されたようにみてとれる。

しかし、心の本質的なところはどうなのか、それが問われることはめったにない。

自我が確立した人間のように振る舞わねばならず、
それが出来ていると意識の表面で自他ともに認識していても、
その仮面からかけ離れたこころの深いところ、
自分のたましい、のような 自分の肉体もこころもすべて包括している
ひとつ高い次元の自分が何を感じているか



日本人がはぐくんできた八百万の神という精神。
非科学的なものが自分たちの神であり生活の基盤であった歴史の中の長い期間。
近代科学の発展により、非科学的なものが意識から価値観や生活から排除されるにつれ
こころの根底で感じることができた、抱かれている という安心感から切れはなされた日本人のこころ、というのは、苦しい状況に置かれていっているのではないか、

それが、意識の表面だけをつかって人を攻撃したり批判することをもって、恐怖を紛らわし
自分が優位に立っていると感じることで安心し、人とつながっていると自分をごまかせるのか。。。。

そのようなことを、ぼんやりと思う。



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by totoatsuko | 2011-05-18 23:28 | Comments(0)
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