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カウンセリング@代々木上原・音楽療法・心理療法 GIM

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引き出されたinvisible 目にみえないもの

写真家は、写真をとることによって、被写体のもつ目に見えない要素をあらわにし、見る人にメッセージを伝えることが出来る。 写真家は、被写体を利用して、自分が伝えたいメッセージを見る人に訴えかけることも出来る。

被写体を実物とは全く違うように見せることが出来るのだ。

例えば、赤いりんご。
モノクロにしてしまえば、赤である、というそのりんごのアイデンティティーを消し去り、
逆に、現像の過程で深い陰影をつけることによって、
例えば誰も気にとめていなかった、そのりんごが持つ 「形」 という新しいアイデンティティーを見るものにアピールすることができる。

しかし、そういう意図を持ってつくった作品であっても、
見る人によっては、りんごの形には何も感動を覚えず、インスピレーションも感じず、
それよりも、背景に魅かれるかもしれない。

先日プロの写真家に写真を撮られることがあった。
ここに座ってください、とか
こういう風に座ってください、とか
こちらを向いてください、とか。

そのプロセスは、振り返ってみれば彼の作品をつくるプロセス、そのものだったと思う。
結婚式とか、プロの写真家に写真を撮られることはあっても、
その写真家の作品のための被写体になったことはなかった。

ああ、こうやって撮るんだ、と。

彼が私から感じたものを彼のフィルターを通して、カメラというツールを使いつつ、作品にしていく。
音楽も同じだな。
同じ情景を思い浮かべて、それを音にしても、
同じ楽器をつかっているのに、その人によって全く違う音楽が紡ぎだされる。

出来上がった写真を見たとき、
最初は、わーーこんな二の腕ぶっとく写っちゃって涙、とか細かいことが気になったのだけど
すこし時間がたって、写真をもう少し心理的距離をおいて、「作品」としてみたとき、
この女性は何を体言しようとしているのだろう?
彼女の目は何を物語っているのだろう?
この女性の人生は、どういうものなのだろう?
彼女は、カメラの先に何をみているのだろう。
写真家の彼がこの写真を通して訴えたかったことは何だろう?

私のある一部分が切り取られて表現された写真をみかえしていくうちに
いろんな自分との対話がうまれてきました。
by totoatsuko | 2010-03-30 12:51 | Comments(0)
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音楽療法士(GIM)のつれづれ


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