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問題意識をもって邁進

安藤忠雄が「問題意識を持ち、それに対して怒りをもって変えよう、としている人が、もっともしぶとい」と書いているのを読んで、私・しぶといはずだ、と思った。

その一つは食のスタイル。
何故に食品に添加物を加えなくてはならないのか?
何故に人と違う食のスタイルをしていることが非難の対象になってしまうのか?

添加物を加える理由や異なるスタイルを否定したくなる理屈は想像できます。
それでも、怒ってます、はい。
それをやっている「人」に腹を立ててる、というより、その「現象」に対して。


まだまだ続いていくであろう私や私の子供たちの食に関するまわりとの小競り合い。
ちょっと位(お肉・乳製品・添加物・砂糖・入り、)いいじゃん。
かわいそう。
え?まだそんなこと言っているの?

はい、まだ言っているし、これからも言ってると思います。


これだけ何度も言ってるからもう分かってもらえてる、と思っていてもそうじゃないことが多いし、
これからも、私たちがマクロビオティックだ、という事を知らない人にも出会っていくだろうし、
マクロビオティックは、要は動物性・乳製品・砂糖・添加物を取らない、というスタイルだよね、
と誤解したままの人も多いので、

しつこいと思うのだけど、やっぱり嫌なものは嫌なので、健康論、ではなく生きる哲学の問題なのだ、という所から理解していただけるよう、色んな方法で、どうしてこういう風に生きたいと思うのか、マクロビオティックは何なのか、というのを、触れ合う機会があった人には必要に応じて伝えていく努力を続けていきたいとおもいます。

私の意向を伝えた時には、
相手が自分のスタイルを否定されたり、
折角の好意を跳ね返されたように感じることが多く険悪な空気が走る事もあるのだけど、
相手を否定するつもりも、気持が受け止められないのでもなく、
ただただスタイルの違いとして、気持はとても有難いけれど、その気持が受け止められない形に転換された場合には申し訳ないけれど受け取れない、ということを私の気持的には大変だのだけど、大事なことだから、頑張って伝えていきたい。いい顔して受け取って後ろで捨てる、なんて事はしたくないから。
そして、その中で伝える方法も磨いていきたい。

同じでない、という事自体に不快な思いをする人が相手だと、なかなかこの気持を上手に伝えることが出来ない。自分の信念を大事にする=自分勝手、と切り捨てられてしまうこともある。

同じである事がとても大事だと思っている方には、違う生き方をする=否定しているのではない、という事を納得してもらうのは不可能に近いのだけれど、
でも諦めずに、あなたの事がとても大事で、気持もとても有難いです。ただ私も私の信念にそった生き方をするのも大事にしたいので、お互いの違いを尊重しませんか、という気持を伝え続けていきたい。
by totoatsuko | 2010-01-10 22:11 | Comments(12)
Commented by saya at 2010-01-11 04:03 x
伝え方がネックな気がしています。マクロの人も、逆の人も信念や哲学を「正義」としてぶつけ合っている気がします。mixiのコミュニティでも、過剰反応とも思われても仕方ないくらい、非マクロ視点の意見にかみつきますよね。あれをみていると、非マクロの折衷案的立場の人の方が、冷静に見えてしまったり。互いの立場を理解して共存しようとすることは二の次のような印象を受けます。
ヨガだと、自分の体に相性のいいものを選び取ることに重きが置かれていて、そのあたりの共存がわりと上手くいっている気がします。おそらく、何がOKで何がNGという世界観じゃないからでしょうか。
Commented by totoatsuko at 2010-01-11 10:39
自分の生き方と違う生き方も、自分の生き方を大事にするのと同じくらい大事にできたらいいですよね、お互いが。
Commented by よしえ at 2010-01-12 20:46 x
私も少しずつ軋轢に向き合い始めてますが、いろんな反応ありますよね、ほんとに。
同じか違うかだけでなく、肉、乳製品、添加物、砂糖、の入っていないもの食べられないって、え??何食べてるの?なにも食べるものないじゃん!って本気で思っている人がいるように思います。私は昔から肉が食べられませんが、たったそれだけで、何度人生の半分以上損してると言われたことか(笑)
肉がないと元気が出ない、砂糖食べないと疲れが取れない、卵食べないと栄養とれない、そういう概念というか、信念が敷衍しているような気がします。そういう人に、マクロの食のスタイルをいくら哲学だと伝えても、うまく伝わらないなぁと最近思ってます(あたしの場合はまだ哲学というまでには至ってないですが)。彼らにとっては、本当にマクロスタイルの食は恐怖ですらあるような印象があるので、肉や乳製品、砂糖がなくても十分に必要な栄養は取れることを、いわゆる栄養素の言葉を使ったりして説明するとやっと、ああ、そうなんだ?と少し恐怖感をやわらげて、こちらの話を聞いてくれるような気がします。伝え方、私も磨きたいです~。鋭意模索中ですが、相手の言葉を使いながら、うまく伝えたいものです…。
Commented by カレーは野菜だけでOK at 2010-01-22 23:25 x
灘田さんのブログを拝見していると、何かいつもいらいらしているように感じます。
マクロビオティックを実践している方が皆同様なのかどうか私は分かりませんが、少なくとも灘田さんは「自分と違う生き方を受け入れようよ」と言いつつ、周りを何か汚れたもののように感じているように私には思われてなりません。私はベジタリアンと食事をすることに全く違和感がないのですが、どうして、マクロビオティック(あるいは灘田さんだけ?)はそのような軋轢が生ずるのでしょうか?以前のブログにお子さんに甘いものをあげようとした友人の話が合ったと思いますが、その時に、もし、灘田さんが、その友人の気持ちに感謝しつつ、食べさせない理由が説明できていたなら、きっとお互いに不愉快な気持ちは生じなかったのではないでしょうか。

日本の音楽療法士を見下すのと同じように非マクロを見下しているように感じます。

また、心に平安のない人に人を癒すことができるのか、そこのところも気になります。
Commented by totoatsuko at 2010-01-23 06:27
そうそう、丁度、私には人の共感を喚起する伝え方なり姿勢なりが弱いな、と思っていたところでした。
私の文章からそういう印象をもたれているのですね。
シェアリング、ありがとうございます。

ベジタリアンと食事することで嫌な思いをしたり、違うポリシーを持っているだけで、こちらはそうは思わなくても、嫌だな、って思う人、批判してくる人、少なくとも私は出合っているのですよー。そして、それとどう向かい合えばよりよい関係になれるのか、一生懸命日々感じたり、考えているわけです。
私の気持ちも考え方も、文章だけでは上手に伝わっていなくても、それはそれで読者にとっては真実なのだと感じます。

でも、色んな考え方、捕らえ方があってしかるべき、と思っているのですが、私に関していえばいらいら、の気持ちを持っている=心に平穏がない、とは私は思いません。どの感情も同じくらい大事な感情です。

ってこのコメントも読む人が読むと、ケンカ売ってるように読み取るのかもしれないですね、、。そのつもりは全くないのですが・・・共感できる伝え方、磨いていきたいと思います。
Commented by こころん at 2010-01-24 10:42 x
う~ん
そういうテクニックの問題ではなくて、もっと本質的なことのような気がします。

こころの専門家の話を聞いたりすると、「私はあなた(クライアント)のことがわかるのよ、でも、あなたには私のことはわからないし、わかる必要もない」という風に感じることがあります。

私は基本的にはこころを扱う限り、相手を(心理学的手法で)テクニカルに扱う前に、心から「心配する」ことが必要ではないかと考えています。クライアントのある部分はテクニカルに「治療」されることでよくなるように思いますが、それでもわかる人にはわかってしまう(相手が自分のことを心配していないことが)のではないか、と思います。
Commented by こころん at 2010-01-24 10:44 x
長くてすいません

高度な技術を身につけた医師、心理療法士は「真から相手を心配するバーチャルな自分」を作り、その「自分」が施療をする、という形を取ることができるのかもしれないと想像はします。

先のコメントを読むと、書込みに対する答えも非常にテクニカルな部分を感じます。

周りの人たちとの関係は常に「相互作用」でできていると思います。
「私の周りはみんないい人ばかりなんです」という人は、多分その人がいい人だから相手もいい人として接するのだと思います。逆に「回りはみんないやな人、変な人ばかりです」という人はやはり自分もその人たちにいやな感じを持たれる何かをしている、持っていることが多いような気がします。実はこのようなコメントは、何かと物議をかもしている「えはら」さんの本で読んだのですが、あの人は問題はあっても、効果的な心理療法をしているのではないかと思いました。
Commented by totoatsuko at 2010-01-24 19:28
そうなんですね。
ただ、すくなくとも、私は 私のまわりが嫌な人ばかり、とは思っていませんよ。そういう風に読み取れてしまったのかもしれませんがー
まさにおっしゃるとおり、バーチャルな自分では相手の心には決して寄り添えないし、心理療法は技術や知識だけでは決して出来ないと、私も思います。
まぁ、ブログであらわされている私は私の一部で、+自分の自分に対する理解不足 +読む方のバイアスやプロジェクションもあるかとおもいます。それはそれで自然なことで、自由だとおもっています。
不快な思いをもたれた方には、申し訳ありません。私の私をあらわす書き方が舌足らずということで、どうぞご容赦くださいませ。
ただ、こういう形で議論や疑問提起になる、というのはよかったな、と思っています。なかなか、ブログ上でやるには難しいテーマだと思いますが、少なくともわざわざこのページに来てくださっている方が、コメントを書きその思いをみなさんとシェアしよう、という思いにさせた、という意味で。
Commented by nozomi at 2010-01-26 12:11 x
totoatsukoさん、こんにちは。
いまは、NYなのかしら?

怒ったり、小競り合ったり、いらいらしたり。
私は、それって、いいなぁ、いいじゃんとニヤニヤ読んでます。

不快な思い、しようしよう!
悲しい涙、、流す流すっっ!!

どうぞ、いろいろな感情を抱きつつ、totoatsukoさんの大切な信念、思い、大事にしてください。

せっかくの人生ですもの。フルに感じていたいし、フルに生きたい。
怒ったり、泣いたりできるってことは、笑ったり、喜んだりもできる自分がいるってこと。私はそう思って怒ったり泣いたり大笑いしたりしていますよ♪ 

一生懸命、自分に向きあったり、誰かに伝えようと、伝え続けようとするそのお姿にちょっとだけエール!! 

また、お邪魔しますね。

食べる物、あなたの信念、私が私の食べるものと全然違っていてもそれを大切にしたいなぁと思うのは、私がそれくらいあなたのことが好きだからかなぁ~。ふふふ。
Commented by totoatsuko at 2010-01-27 17:34
Nozomiさん、どうもありがとう! Lov ya.
Commented by totoatsuko at 2010-01-27 18:26
ルービン美術館で、Jung・ユングのRed Bookからの抜粋が壁に順繰りに表示されていて、正確なフレーズは忘れたのですが creativity stems from madness/ 創造性は怒りから生まれる、というのが一つありました。
怒っていても、悲しんでいても、その感情に支配されているとは限らない。むしろ怒りを楽しみと同じくらい味わえていたら、クライアントの怒りもクラインとの喜びと同じくらい歓迎し、その感情をはぐくみ何かにTransformしていく手だすけが出来ると思う。クライアントに寄り添うセラピストのあり方は、言葉では説明しきれないアートな側面を持っていると思う。
Commented by nozomi at 2010-01-28 00:47 x
ちなみに、私のProfessorも”Keep Mad!"とよく言っていましたよ。

私は怒りを抱えている時の多くの場合、その犯人が「悲しみ」ですね。
悲しいから怒っているんだ、って気づくと急にそのエネルギーは違うものに変わったりしますが。

もう、日本に帰ってきたかな?
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