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どうしてこうも振り回されるのかII

どうしてこうも振り回されるのかII_d0065558_1537517.jpg家族や親友は、私にとってとても大事な存在だ。
彼らが存在すること自体が、私の一部である。
ものすごく複雑な絡みを積み重ねてきた歴史があるから、どんなに彼らの言動から自分の心が傷ついても、その関係をかぽいっ、と捨てることが出来るものではない。むしろ無理やり関係を切ろうとすると、もっと自分を傷つけてしまうような関係。

でもクライアントは、第3者だ。
関係は、数回しかセッションを行っていない歴史しかない人もいる。

なのに、どうしてこうもセラピストの心は振り回されてしまうことがあるのか。
振り回されるのがセラピストとしてあってはならない状態なら、さくっと割り切ればいいのに。
頭だけで考えると、それが出来ないのが凄く不思議に思ってしまう。

例えば、、、
あるセッションまでクライアントはセラピストに、いかにこのセラピーによって自分のためになっているか、いかにセラピストの言葉や振る舞いが自分にとって暖かく頼りがいがあるものであるか、というのを熱烈に語る。そしてある日突然、今まで言わなかったけどあなたは最悪、と引導を渡される。

love and hate

だれだって、そんな矛盾した気持ちは内包し常に気持ちは揺れているけれど、その触れ幅がはんぱではないボーダーライン-境界性人格障害(神経症と精神病(うつ病、統合失調症の境界領域にある症状も含む。googleしてみてください。具体的なエピソード、色々でてきます。例えばclick。自分の家族や仲間にも似た関係・状態がみられるかも?)に多い。

セラピストになる訓練の中で、自分はどれだけ愛に飢え、愛にしがらみを持ち、hate (憎しみ?嫌悪?)によってどれだけ傷ついてきたか、それゆえにどれだけhateを恐れているか、など嫌がおうにも向かい合わされる。こうやって自分の飢えや恐れを知り、ある程度把握することによって、セラピストというモードの時に自分のニーズをクライアントに満たしてもらおう無意識に振舞ってしまう事を避けることが出来る。


例えば、子どもの頃に親が一切してくれなかったために、誰かに自分を肯定してもらいたい欲が積もり積もっている場合、その状態に気づいていなかったら、無意識のうちにクライアントに認めてもらいたい、と思い、クライアントの心のプロセスに寄り添うのをついわすれて、クライアントに自分の親を投影してクライアントに認めてもらえるような表面的な言動をしてしまう恐れが、例えばの話、ある。

クライアントと恋に落ちてしまう、とか。(ちなみに、APA-American Psychological Association の倫理では、クライアントと個人的な関係になるのは、セッションを終焉させてから二年は置かなくてはならない、とある。)


そうやって、自分の心と向かい合う訓練受けたセラピストたちが、それでも何故love and hate の激しいクライアントに足元から揺さぶられそうになり、その状態に陥るのを防ぎながらセラピストとしての仕事を全うするために何故スーパーヴィジョンを必要とするのか?

人に愛される、人に憎まれる、人を愛する、人を憎む、というのは、それくらいものすごい力を持っているのだ。相手を一瞬に突き放し、塀に打ち付けてずたずたにしたり、一瞬にして天にも昇るくらい幸せな気持ちにさせたり。それは、自分の心がそういうものをどれだけ求めているかというのを知っているか、知らないか、というのを簡単に飛び越えてしまうくらいの、理屈でない世界。ボーダーラインなどの人のlove and hateの針の振れは、はんぱでなく急で大きいので、

思い出してみる、過去の気持ちの変遷を。

そう、私は大事な人に愛されたいというニーズを持っている。しかし目の前のクライアントはクライアントであり、プロフェッショナルな関係である。だから、この人に罵倒されても私の愛されたい、という気持ちは傷つくはずは無い。この人に愛されても、私の大事な人に愛されたい、というニーズは満たされない、分かっている。この罵倒はクライアントの病理の一部であるとも分かっている。それでも悲しく、self-esteemが揺らいでいるのは事実であり、それを無理やり悲しくない、と自分に思い込ませるのもナンセンスだ。
(その後、スーパーバイザーと話し、平静を取り戻す。)


セラピストをやっているとき、クライアントの心近くに寄り添えば、それだけクライアントの心的エナジーを受け取り影響を受けやすい状態にある。と同時に片足は土台がしっかりした大地をしっかり捉えて、大局観をもってクライアントのプロセスをサポートする。揺れ動くクライアントとセラピストである自分自身の心を観察しながらバランスをとっているセラピストの心のプロセス。

分かっていても、どうしてこうも振り回されそうになってしまうのか。
滅多にない現象なのだけれど、そういう状態になっている心に気づいたとき、そう自分に問いかける。

それは、心が生きている証拠?

プロフェッショナルな関係、という前提であっても
心の芯が安定していることが鉄則であっても
クライアントとセラピストの心、や、関係、は「生き物」で、それらの動きを止めることは決して出来ない。

そもそも、生きているものの動きを止めようとするのは、不自然なことだ。

ただ、セラピストとしての役割が全うするためにその関係や、クライアントから影響をうけた心が暴動を起こさない程度に、いい関係性を保つ点検には気を配って行きたいと思う。
by totoatsuko | 2009-08-24 15:36 | Comments(2)
Commented at 2009-08-25 14:01 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by totoatsuko at 2009-08-28 17:34
引導の印籠間違い匿名で教えて下さった方、どうもありがとうございました。そのご指摘のしかたが、引導を渡すような攻撃的なものではなく、とても温かいベクトルでしたので、感動しました。

指摘の仕方、について思いめぐらし記事を書こうとおもっていたところだったので、なおさら、匿名さんの思いやりを感じる言葉が心にしみました。
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