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カウンセリング@代々木上原・音楽心理療法 GIM、 自分探し

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信じる事ができる心がもつ浄化作用

日食は、何らかの形で、毎年地球上のどこかでみられるそうです。

ただ、同じ場所で見ることができるのは、何十年、何百年に1回、らしいので、
太陽が月と並び、その光が一度遮られ、
新しく光が生まれ出ずる、新しい光に包まれていく過程を体験する、
というのは
”その土地自体が”
そして ”その地に住む人々” にとって、大きな意味を持つようにおもいます。

今回のように日食について興味を持って、その過程を観察したのは人生で初めてなのですが、
それは、”たまたま”天体ショーに興味をもったから、ではなく、
私の変遷していくspirituality や、人生の旅の、今この時期の必然だったような気がします。

これまで、いろんな現象に、たくさんの人に、支えられ、教えられ、導かれ、守られてきました。

これからも どんな経験も たとえ悪意があるものでも

”自分がポジティブに受け取る心さえあれば”、

そして、何事も 自分のために起こっていることと信じることができる

水のように、強くたおやかで、
時には激しく濁流のようでもあり、清らかな滝のようでもあり
また、海のようにすべてのものを含むことができる深い宇宙でもあり、
また、常に循環し、交わり分かれる柔軟性と、自浄作用がある心さえあれば、

光が常に自分とともにあること、
何か辛いことが起こっても、何か大いなる光のようなものを信じて、
人に対しても、自分の心にたいしても正直に真摯にむかいあい続ければ

時に小さな心に引き起こされる憂いや不安や怒り、

そんなものの闇にのみこまれず、光とともに、光に包まれながら
その大きな力に導かれて、よりよき人生を生きていけるのではないかと、感じるようになりました。



とはいえ、人生は 色々と波乱万丈。

また何かが起これば、闇に飲まれそうになることもあると思いますが、

今の気持ちを忘れないように、
何かひとかわむけた自分がさらに前にすすんでいけるよう、あたらしく出でた光のエネルギーを感じながら、より大きく強く優しい心をたもっていきたいです。



# by totoatsuko | 2012-05-26 02:06 | Trackback | Comments(0)

金環日食

金環日食Ustreamで、ライブでみました。 
この写真はFBで友人がシェアしていた、素敵な一枚。


ご飯作ったり、着替えさせたりしな​がら、子どもたちと、あ、暗くなったね、明るくなってきた、と会​話しながら。 便利な世の中。  

しかし、太陽がかくれたときは​、ちょっとぞっとしました。 

太陽がなくなったら、ほんとうに暗闇に​なってしまうんだ。 植物だって育たないし、、、 
みんな生き​ていられなくなるんだ、そうおもいました。


ただただ、毎日かわりなく上ってきてくれる太陽に、
そして訪れてくれる夜の闇のありがたさを、改めて感じました。

25年前、沖縄での金環日食を一緒に見に行った友人の一人が、
ずっと疎遠になっていたのに、今回の金環日食の日に留守番電話にメッセージが残っていて、交流がまた始まろうとしている、という身近な人のストーリーを聞きました。

すべての事には意味がある、後になってでしか分からないこともあるけれど。


では、big picture の中で、今自分はどんなふうに生きているんだろう、
どんな風に人とかかわっているのだろう、
未来にどんな意味を持っているのだろう、

そう、ふと思い、自分を見つめなおす機会でもありました。


科学がまだ発達していな時代でのこういう自然現象は、
人間にいろんな解釈、意味づけを持たせていたとおもいます。


今回の金環日食の件について、ある占星術の視点は以下。

###
日食は、太陽の磁力を遮る月のパワーが非常に強く、日食がもたらす気づきと成長の機会は次の蠍座で起きる日食(11月13日)まで続く。

2012年の日食は、5月と11月の2回、双子座と蠍座で起きるため、
私たちに突きつけられるのは、変化を拒み現状にしがみつこうとする姿勢を見直すこと。



凝り固まったものの見方や考え方を分解し、変化に対応する自分へと再構築するエネルギーとなる。
2012年はすべての人にとって「変化」がテーマ。
私たちに起きる出来事は、どれも私たちに変化を促し、人格の変容と再生へと導く。

5月20日(双子座の日食)から半年間は、
知識や情報を周囲の人々と共有することの意味について考えさせられる。
情報や人の意見は常に流通することでその価値が精査され、
広められ高められて社会に定着していくもの。
知っていることを誰かに伝え、知らないことを受け入れる柔軟性を持つことで、暮らしは進化し、活性化する。
この時期は、事実関係を把握したら、あれこれ勘ぐりをいれずに、
直感に従ってストレートに行動したほうがいい結果が得られる。

###

現状の既得権者の反対で、新しいことが始められないことってよく​ある。
「変化」は、現状を手放さなくては起こらない。
それは、とても大きな痛みを味わわなくてはならないことでもある​。
でも、変わり続けたい、現状に即した自分に、新しいことを生み出​し続けることができる自分に。




# by totoatsuko | 2012-05-23 05:43 | Trackback | Comments(0)

着物を着る

着物が好きで、
でもずっとずっと習う機会もないし、着る機会も数年に1回程度だったがのですが、
このたび教えてもらい、
自分でも練習し、
やっと基本の着付けと帯のお太鼓はできるようになり、
一人で着ることができるようになったので

グリーンが基調の紬の着物と、
もみじ柄の白地がさわやかな名古屋帯、赤の帯占め、
という組み合わせで着て、お出かけしました。

着物は、母のものをこのたびいくつかいただいたのですが、
昔のもので、どの生地も刺繍も手が込んでいて、繊細でうっとりするくらい美しく、
しばしみとれてしまいました。

私は着物に関する知識が本当になく、着物が包んである和紙に
紬、とか、鮫小紋、とか 書いてあるのを見てちょっとづつ、知っていく楽しみを味わっています。

紬の着物は、着てみてわかったのですが、けっこうハリと光沢があり、織りも独特で
職人さんなどの、着物の文化を継承していっている方たちに思いをはせました。

着物を着て街に出る、
着物を着ている自分が外の世界と触れ合っていると、
自分が日本人であること、
それは具体的にはどういうことか、言葉にするのは難しいのですが
なにか、先祖から脈々と受け継いできたものを自分の中に感じることができて、
その感覚を楽しみました。


着物は、クリーニングとか、たたんでしまうところとか、
メインテナンスが洋服と比べたら半端なく大変なのですが、

せっかく、自分で着物を着ることができるようになったので、
これからは、自分の中の着物を着る事に対するハードルをひくくして、
もっと手早く美しく着ることができるようになりながら、着物を着る機会をふやしていきたい、
と、思います。






# by totoatsuko | 2012-05-19 22:56 | Trackback | Comments(0)

子どもと大人のためのアート教室5月のお知らせ

月一回行っている、大人と子どものためのアート教室アートベース、今月は、今週末です。


第二部 15時15分~17時15分 (会費2500円)は、まだあきがあります。

また遅ればせながら、
4月の様子をアートベースのブログにアートベースのパートナーの恭子さんが写真付でアップしてくれました。


毎回、恭子さんの視点、私の視点、と2個ブログに投稿していたのですが、今回私が時間に追われてアップできなかったので、ここで印象的だったことを少し書きます。



一つは、セロファンと、ビニールテープと、画用紙でつくった、カラフルなノートパソコン。
みなさんにも是非ご紹介したいのですが、残念ながら、その質感をうまくとらえている写真を撮っていませんでした。水彩とか、貼り絵を終えて時間があまっていたお子さんが、自然な流れで、その場にある素材からインスピレーションを得て作っていった感じ。

一人でもくもく。

その、セロファンのピカピカ感とか、薄さとか(苦笑)、まさに未来のおしゃれパソコンみたいな感じで、作っている過程も、出来たものも、とても興味深いものでした。



アートベースの始まりのころは、私たちがテーマをつくってそれに取り組むことが多かったのですが、
レギュラーで来ている子どもたちは、場に慣れ、私たちに慣れ、そして素材の性質にも慣れていく中で、自分が自発的に作りたいものを作っていく場と時間になってきているようで、

それは、私たちが思い描いていた形の方向なので、とてもうれしく思っています。


作品も、1回のセッションの2時間では仕上がらないほど大きなテーマを持って取り組む子どももいて、
それはそれで、じっくり時間をかけて回を重ねて、自分が納得する完成度に近づけていく取り組みができる場にもありつつあることもうれしいです。 

本当は毎週取り組める場を提供することができれば、もっとやりたい子どもや、じっくりやりたい大人の要望にもこたえていけるとおもうのですが、子育て真っ最中の今の恭子さんと私なので、当分このペースで長く続けていけるよう、地道にやっていきたいとおもっています。
# by totoatsuko | 2012-05-08 23:26 | Trackback | Comments(0)

フラメンコ ソロ初舞台

先日のフラメンコ初舞台では、なんだか訳わからなくなって最後の振りをかっとばしてしまいましたが、
先生の掛け声のおかげで、なんとかバレバレのごまかしをしながら、ひこっむことができました(汗・汗) 

ちょうど、2年前の今頃、嵐の中にいました。
ひとりぼっちでびしょ濡れで、それでもかまわず降ってくるひどい嵐で前もみえない。
自分を見失わないように道をたどっていく過程で通い続けたフラメンコのクラスは、子どもたちや、地域の人や、友だち達の存在と同じくらい、しっかりと私を支え続けてくれました。

プログラムに載せられた先生のコメントや自分が寄せたコメントを読んでいたら、この2年間のことが色々と思い出され、何度読んでも涙なしには読めません。 先生の 人としての力にも、ほんとうにエネルギーを沢山もらって支えられていると改めて思いました。なくてはならない、かけがえのない出会いでした。

初めてのフラメンコの発表会。
ギターさんや歌い手さんと本番にむけて合わせたり、群舞のフォーメーションの練習を他の人と一緒にやる。エンサージュ から エスカベージャ ・・・はたべものだ、 床をするブラシという意味のエスコビージャとか、何コンパス歌ってもらってから踊り始める、、、とか基礎的なことの意味から、もっとギターやパルマを聴きながら踊る感覚とか、これから取り組むべき課題が具体的に見えてきて、新たなスタート地点に立ったような気持ちです。

曲のイメージや自分の好みなどを、衣装を作ってくれた方と話しながらデザインを決めていく過程、
出来てきたときの感動。衣装にあう靴やアクセサリーを真夜中にネットでブラウジング。全部、すごく楽しかった!

これからも、色んなことのバランスをとりながら、
自分のために、フラメンコにエネルギーを費やしていきたいです。

子どもとその友達たちも、席から離れて舞台前のほうに出てきて舞台に釘付けになりながら、無意識にパルマたたいている子もいました。発表会は、ある意味非日常ですが・・・・

日常に音楽がある、
日常にアートがあってそれを通じて家族や仲間と ”一緒に遊び楽しむ” ことが出来る、
ってほんとうにステキなことですね。

改めてそう思いました。

こうやって私が母でもなく、仕事をしている姿でもなく、一人の人として
フラメンコに必死で、そして楽しみながら取り組んでいる背中が、
そして、それを通して私が世界を広げ、視野を豊にし、全体的に自分の人生が豊かになっていくことで、
私にふれる全ての人が少しでも何かをうけとったり、インスパイアされたり、心になにか一石を投じるような存在であれば嬉しいです。

ほんとうに今 踊っていられることに、生かされていることに感謝です。

ここ数週間は、自分が出来ていない所にやっと気づき、いつもより練習しに行ったり、レッスンをしてもらったりしていたら、本番前にすでに全身筋肉痛。でも、悪あがき、やらないより、やっぱりやって踊りはよくなれた。

6月にもまた本番。
今回が、2年間たって新たな出発点のように感じた発表会なら、
来月は、その次のステージに成長していく足がかりになる経験にしたいとおもいます。

1ヶ月かけて、また楽しみながらラストスパートしていきたいと思います。





# by totoatsuko | 2012-04-29 12:58 | Trackback | Comments(0)

music together の音楽遊びは マルチタスク

音楽をやる、と一言でいっても、
その言葉から想像される音楽活動は、その想像される数だけあると思います。

クラッシックのソロ演奏やグループでやるカルテット、オーケストラ。
JazzやロックのJamセッション。
盆踊りなど、コミュニティーのイベントでみんなで歌ったり踊ったりするもの。

music together (無料体験、随時受付中です)や 
音楽療法の現場で、みんなで音楽をつくっていて思うのは
この音楽活動は、いろんな生きる知恵やスキルが磨かれる場でもある、ということ。

様々な歌声が入り乱れ、子どもたちが自由に歌ったり踊ったりまったり座っていたりする中で、
ファシリテーターである私の声を ”聴き分ける” ために、”聴こうとする力” が育っていきます。

歌いながら、手をたたいたり、音楽のテンポやリズムやダイナミックスにあった、
何か面白い動きを ”思いつき”、 ”実行しながら、他の人と目をあわせ、コミュニケーションをとる”
という、何重ものタスクを、同時に頭と感情と体をつかって処理する、
能動性 と、 受動性と、 創造性、 が同時に育てられる場はそうそうありませんが、
社会で生きていくには、いろんなところで必要だと思います。

別の言いかたをすると、multiple task をこなすことに長けていると、
情報の受け取り方も、自分の中にあるリソースの発見のしかたも、それらをアウトプットする力も、
幅がひろがります。

それから、なかなか机の上でのお勉強や、受け身が主体の勉強の中では育てることが難しい
感受性や感情を使いながら人と関わることも、 
music together など ”生きた音楽”の場では、自然とアクセスする場面があります。

色んな人がいろんな声やリズムや音を出している。
どの音が心地よく感じるか、どの人の音につい体を動かしたくなるか、それは 音楽を感情で感じて初めて起こる感情で、ちゃんと感じた感情を、こんどは自分が音や動きや声にする。楽しいね! 面白いね! そんな気持ちを、目を合わせながら仲間と共有する、共有することの楽しさを感じる。

それは、言われた音楽をやるのとは、まったく違う音楽体験だと思います。

これは、即興的な要素を沢山とりいれた音楽療法のセッションでも感じていることなのですが、
主体性
音を出すのも、出さないのも、音の聴き方、感じ方も、
やらされる のではなく、
自分のやり方をみつけていくプロセス、自分の方法でたのしむ場、

そんないろんな感性がつどって、music togetherの音楽体験は作られていっています。
こどもたちが、自分達のペースで、音楽的な要素を学び、吸収していく場。

音楽には、短調、長調があって、二拍子があって、三拍子があって、音程がどうで、、、等々
理論的なことを、カジュアルな形で学んでいく。

それは、まるで、こどもが泥んこになって自然の中で遊ぶ中で、五感をつかって
自然と昆虫や、水や、それぞれの木々のこと、気候の特性を知っていくようなもの。


そんなmusic together @ 渋谷・代々木上原 のクラスは
毎週土曜10時~10時45分 に行っています。
無料体験は随時受け付けておりますので、お問い合わせください。

letsmusicing@gmail.com


夏学期は、7月14日(土曜)から始まります。
夏学期の予約の受け付けの締め切りは、アメリカから教材を取り寄せる等準備のため
6月15日を予定しています。





# by totoatsuko | 2012-04-20 22:17 | Trackback | Comments(0)

アート フェア Tokyo

3月の最期に Art Fair Tokyo に行ってきました。
毎年 有楽町の国際フォーラムで開かれる展示。

様々なジャンルのアートが一堂に会しています。
美術館のように、何か絞った展示のテーマがあるわけではないので、
雑多に とてもユニークで パワフルなものが ならんでいて、
時には 作家自身がブースに立っていることもあるので、
気軽に 作品を目の前にして本人と対話が出来るのも魅力です。

ブースで画廊の人やアーティスト本人とお客さんが話している内容も興味深い。

でも、アーティストの恰好がエキセントリックすぎて
作品にもうちょっと近づいてみてみたいとはおもうけど、
作品に集中できないようなきがして、なんとなく気がひけて、
それに、アーティストから受ける印象と、作品から受ける印象のギャップも大きく
なまじご本人がいるのも、自分なりのアート鑑賞を楽しむには難しいと感じたブースもありました。


ブースの間をくねくね くねくね歩いていきながら、気になるブースに立ち止まってゆっくり見る。
その作品や作家の背景を読む。

作家がどういう哲学をもってその作品をつくったのか
作家がどういう生き方のポリシーを持っているのか
どういう素材をつかって、どういう場所でつくったのか

作品の背景を知ることで、その作品から受ける印象がまったく変わってくる、
受け取ることができるものが、広がる面白さがあります。


逆に言えば、ぱっと見は面白いけれど、
作家の中に何か確固としたものを見つけることができないものは
なにか薄っぺらく、その場のその瞬間でおわるようなものもあります。


でも、また その薄っぺらさ、軽薄さ、心に残らなさ というのも作品の個性だとおも思う。
いつまでも受け取る側に余韻を残さない軽さ、重みはないけれど、瞬間的に強いインパクトを与え消え去ることが出来る、 それは、そうでない作品が持つことができないユニークな特徴。


その昔、歴史に名が残る印象派の画家たちが彼らの印象派的な作品を発表し始めたとき、
業界からも、一般からも非難ごうごうでした。

いつの時代でも、半歩1歩先を歩くのはクールとみなされやすいけど、
3歩先をいく人は、多くの人には理解されにくく、

力あるもの、既得権をもっているもの、変化を望まないものたちから
投獄されたり、批判されたりしながら潰されたりされがちなのでしょう。

そして、それをはねのける、あるいは 生きのびる 強さやしたたかさなどがあるものが、
その攻撃や否定という負のパワーをも糧にして、
真に世界や世界の価値観を変え、成長させてきたのかもしれません。


一見 多様な価値観がより認められやすくなった世の中ではありますが、
一人一人の人間が体験しているものはどうなのか、
この文章を書きながら考え始めました。

本当に違いや、個性を、主体的に尊重しあう精神が育ってきているのでしょうか?



このアートフェア、毎年この時期にあります。
メインのスポンサーが 世界的にもアートや音楽のスポンサーとしても名が知れているドイチェバンク、で、日本の企業の名がほとんどない、というのも興味深い。

会期が3日間と短いのですが
めずらしい野菜が並んでいるマルシェで実際実物を手に取りながらモノをみるように 
世界で活躍する今が旬な作家たち(のほんの一部だと思うのですが)の作品とお手軽に出会える機会なので、今回もとても楽しませてもらえました。









# by totoatsuko | 2012-04-18 19:02 | Trackback | Comments(0)

music together session#4@代々木上原・渋谷

music together (ミュージック トゥギャザー)@代々木上原クラス (土曜日・午前10時~10時45分)を 
3月の末から始めて、これまでのところ4回のセッションを終えました。

1クラス11人の大所帯。
始める前は、二つのグループに分けようかともおもったのですが、
1回やってみると、なんだかその雑多感が楽しめるグループダイナミックスだったので、
そのまま1つのグループでやっています。

一応、定員は子ども12人とその家族、という風になっていますが、
お国柄、参加する人たちの好みによって、
5,6人の小さいグループ(最小人数は5名)がいい、という場合もあれば、
南米などでは、一人の子どもに祖父母も一緒にきて、総勢30人というグループで、毎回音楽でお祭り騒ぎ、なんて楽しみ方をしているところもあるので、music together はいろんな使い方、楽しみ方、提供の仕方があるな~、と思います。

代々木上原のクラスでも、夫婦でお子様と一緒に参加される方もいらっしゃり
多くはないですが、男性の声とか、男性のアドリブの発想、そもそも男性の存在自体が、
子どもも女の子が中心なグループにとってとってもいいスパイスだと感じます。


音程を取る、とか リズムを取る、 という、音楽的要素を学ぶ、というのを音楽で遊びながら自然と大人も子供も身についていくのがmusic together なのですが、もっと ”お勉強ちっく” にやらないと、”学んでいるような気にならない” という感じ方をする人もいるだろうな~、と思ったりもします。

でも、私は、幼児期は、その時期にしかめいっぱいできない、
どろんこになって五感をつかって、体中をつかって、
人との関わり~親や異年齢の友達と遊ぶ中で、
子どもはかけがえのない事を学び成長していくと信じているので、 

子どもの音楽性を育てるのも、
music together のような、生活に根付いた音楽遊び、音楽を使って人と関わり、
自分と相手の感情とがリンクしてその場で生まれる、新鮮で、生きた音楽、”体感” する。

頭で音楽を理解するのは、もっと大きくなってもできる、
スポンジのように理屈無しで音楽を体や感覚で覚えていくことが、
将来 子どもが自ら音楽をやりたくなる気持ちを育てたり、
音楽的センスの種を植えることができるのではないかと思います。


音楽療法でも、music together でも大事にしていて、参加者や保護者の方にお伝えしていることは、
私は ”先生” でもないし、 ”パフォーマー” ではないし、 
みんなは ”オーディエンス” ではない、ということ。


音楽プレーヤーがなかった時代は、
田植えをしながらみんなで歌ったり、石で遊びながら石遊びの歌をうたったり、
勿論、誰かが歌っているのを聴く楽しみ、というのもあったと思いますが、
現在より、歌う人 と 聴く人、 が分かれていませんでした。


そうそう、今日は 4回目のセッションで起こったことを書きたかったのでした。

いつも、おなじみの歌を輪になって座って歌いながら、私が、ヘンテコな手振りなどの動きをつけて、それをみんなに真似してもらいます。そしてそのあと、大人の人に一人一人順番に、即興で振りをつけてもらい、みんなで真似していきます。

自分の親がやっているときは、その子どもは、ちょっと得意そうな、親のことを自慢そうに辺りを見回すような顔をして真似してたりします。ときどき、スゴイ難しい動きだったりして、やってる本人が混乱してグループが大笑いしたりします。

話はそれますが、コレ結構難しいんです、
瞬間的に、いま歌ってる音楽のテンポとリズムにのっかって、自分独自のリズム感というかフレーズ感を表現しなくっちゃいけないんですから、結構な音楽トレーニングだと思います。


話はもどって、そして、いつものように、大人がクリエーティブ ムーブメントを1周2周まわして次の歌にいこうとしたら、今回はじめて、

私もやりたい! と子どもから順番にソロのターンをとりたいと言ってきました。

待っててよかった!

子どもが ”やりたい!” と自ら思うまで、そう言える自信が、主体性が内的に育つまで ”待つ”。
もう やらずにはいられない気持ちになる。

それが、とても嬉しかったのです。

受け身なところから、
主役に 
人がやってないことを人に提供する側に躍り出る、
その境界線を、”やりたい気持ち” が、簡単に越えさせてくれる。


大人と違って、この動きをしたら真似しにくいだろうな、なんて配慮はないので
え~~~っ というようなポーズとかを提供してくるのですが
そこは、乗っかって 子ども以上にやるくらいの気持ちで大人もみんな真似すると
ゲラゲラ笑い転げて、楽しくなる。

音楽を一つのツールとして、バカをやったり、ふざけたり、静かな気持ちで楽しんだり、
それを 人との繋がりの中で楽しむ。
今の時代には、親子という関係にとって、友人たち、という関係にとって、communityにとって
かけがえのない体験ではないかと思います。

楽しかったら、ちょっと難しいことだって、
チャレンジしたくなるし、もっと自由に想像力のcreativeな独自の世界を、無理なく広げることができる。


回を重ねるごとに、お互いを知っていき、もっともっとcreative な楽しみかたが出てくると思います。
また、そのストーリーをここでシェアしたいと思います。



# by totoatsuko | 2012-04-17 11:05 | Trackback | Comments(0)

music together session#4@代々木上原・渋谷

music together (ミュージック トゥギャザー)@代々木上原クラス (土曜日・午前10時~10時45分)を 
3月の末から始めて、これまでのところ4回のセッションを終えました。

1クラス11人の大所帯。
始める前は、二つのグループに分けようかともおもったのですが、
1回やってみると、なんだかその雑多感が楽しめるグループダイナミックスだったので、
そのまま1つのグループでやっています。

一応、定員は子ども12人とその家族、という風になっていますが、
お国柄、参加する人たちの好みによって、
5,6人の小さいグループ(最小人数は5名)がいい、という場合もあれば、
南米などでは、一人の子どもに祖父母も一緒にきて、総勢30人というグループで、毎回音楽でお祭り騒ぎ、なんて楽しみ方をしているところもあるので、music together はいろんな使い方、楽しみ方、提供の仕方があるな~、と思います。

代々木上原のクラスでも、夫婦でお子様と一緒に参加される方もいらっしゃり
多くはないですが、男性の声とか、男性のアドリブの発想、そもそも男性の存在自体が、
子どもも女の子が中心なグループにとってとってもいいスパイスだと感じます。


音程を取る、とか リズムを取る、 という、音楽的要素を学ぶ、というのを音楽で遊びながら自然と大人も子供も身についていくのがmusic together なのですが、もっと ”お勉強ちっく” にやらないと、”学んでいるような気にならない” という感じ方をする人もいるだろうな~、と思ったりもします。

でも、私は、幼児期は、その時期にしかめいっぱいできない、
どろんこになって五感をつかって、体中をつかって、
人との関わり~親や異年齢の友達と遊ぶ中で、
子どもはかけがえのない事を学び成長していくと信じているので、 

子どもの音楽性を育てるのも、
music together のような、生活に根付いた音楽遊び、
”自分で” 音楽を使ったり、”声を含む自分の体” をつかって音を発信して人と関わり、
音楽でいろんな感情を ”体感” することが、将来 子どもが自ら音楽をやりたくなる気持ちを育てたり、
音楽的センスの種を育てることが、育つことを見守ることができるのではないかと思います。


音楽療法でも、music together でも大事にしていて、参加者や保護者の方にお伝えしていることは、
私は ”先生” でもないし、 ”パフォーマー” ではないし、 
みんなは ”オーディエンス” ではない、ということ。


音楽プレーヤーがなかった時代は、
田植えをしながらみんなで歌ったり、石で遊びながら石遊びの歌をうたったり、
勿論、誰かが歌っているのを聴く楽しみ、というのもあったと思いますが、
現在より、歌う人 と 聴く人、 が分かれていませんでした。


そうそう、今日は 4回目のセッションで起こったことを書きたかったのでした。

いつも、おなじみの歌を輪になって座って歌いながら、私が、ヘンテコな手振りなどの動きをつけて、それをみんなに真似してもらいます。そしてそのあと、大人の人に一人一人順番に、即興で振りをつけてもらい、みんなで真似していきます。

自分の親がやっているときは、その子どもは、ちょっと得意そうな、親のことを自慢そうに辺りを見回すような顔をして真似してたりします。ときどき、スゴイ難しい動きだったりして、やってる本人が混乱してグループが大笑いしたりします。

話はそれますが、コレ結構難しいんです、
瞬間的に、いま歌ってる音楽のテンポとリズムにのっかって、自分独自のリズム感というかフレーズ感を表現しなくっちゃいけないんですから、結構な音楽トレーニングだと思います。


話はもどって、そして、いつものように、大人がクリエーティブ ムーブメントを1周2周まわして次の歌にいこうとしたら、今回はじめて、

私もやりたい! と子どもから順番にソロのターンをとりたいと言ってきました。

待っててよかった!

子どもが ”やりたい!” と自ら思うまで、そう言える自信が、主体性が内的に育つまで ”待つ”。
もう やらずにはいられない気持ちになる。

それが、とても嬉しかったのです。

受け身なところから、
主役に 
人がやってないことを人に提供する側に躍り出る、
その境界線を、”やりたい気持ち” が、簡単に越えさせてくれる。


大人と違って、この動きをしたら真似しにくいだろうな、なんて配慮はないので
え~~~っ というようなポーズとかを提供してくるのですが
そこは、乗っかって 子ども以上にやるくらいの気持ちで大人もみんな真似すると
ゲラゲラ笑い転げて、楽しくなる。

音楽を一つのツールとして、バカをやったり、ふざけたり、静かな気持ちで楽しんだり、
それを 人との繋がりの中で楽しむ。
今の時代には、親子という関係にとって、友人たち、という関係にとって、communityにとって
かけがえのない体験ではないかと思います。

楽しかったら、ちょっと難しいことだって、
チャレンジしたくなるし、もっと自由に想像力のcreativeな独自の世界を、無理なく広げることができる。


回を重ねるごとに、お互いを知っていき、もっともっとcreative な楽しみかたが出てくると思います。
また、そのストーリーをここでシェアしたいと思います。



# by totoatsuko | 2012-04-17 11:05 | Trackback | Comments(0)

近況報告

週末から子どもが体調を崩し、今日は仕事に行くのを休ませてもらいました。


他の子どもの相手をしながら、
機嫌が悪い子どもに 出来るだけ優しく対応しながら
なんども なんども吐瀉物を処理して、床を除菌して、
何度も汚れた衣服を手洗いして・洗濯機をまわして、干して、たたんで。

小さな子どもを育てたことがある人なら、

あ~、わかる わかる その どうしようもなく泣きたくなるような状態、

と思いながら読んでいただいていると思う (苦笑)、
何度かは必ず通るこんな日々。

今日は、あいかわらず機嫌は悪いのですが、
吐いてなくて、ぐったり寝てくれているので、静まり返った家でブログを久々に書いています。


最後の投稿が、3月末。

それから2、3週間、卒園やら、入学やら、職場の新しいプロジェクトなど
いろんな雑務におわれて、文章をかく気持ちの余裕がありませんでした。
時間がない、といえばそうなのですが、それなら寝る時間を削ればいいんだけど、
そこまで気力がなかったというか。

家事全般がおそろかになっていて、家の中がひっくりかえっているとき、
持ち帰った仕事をやりきれてないまま、自分の中で納得のいかない形で提出期限を迎える時
いつも思うのです。

寝る時間短くすれば、 もうちょっと完成度高くこなせる。
寝る時間を短くできる ”気力” があれば、寝なくても大丈夫。

おかしなもので、どんなに疲れていても、どうしてもやらなければならない状況だったら
寝なくても、その課題をこなすために、ない体力がしぼりだされるんですよね。

今おもうと、夜中GIMの論文のラストスパート、最終仕上げをやっていた段階の数か月とか、
子どもが乳児で、夜中に何度も起こされて対応していたときとか、
もろもろ もろもろ
ほんとうに、よく日常がまわっていたな、と思います。

何が生活のプライオリティーか、 というのが、意識的な選択をしなくても
自分が心からやりたいとこ、大事にしていること
外的要因があってやらなくてはならないこと、
そんなことを無意識に選び取って、やっているんだと思います。

家の中が、おもちゃや衣類などでちらばっていない、
モノがあるべきところに収まっている
というのは、 自分が気持ちよく家で過ごすために私にとって大事なのですが
ときどき、それをやる元気もない、ここ数週間でした。

4月も半ば。
子どもたちとの、職場との新しい生活リズムも軌道にのりはじめたし、
今日は、一日お休みだから、子どもが寝ている間に、色々家の中を片づけたいと思います。


他にも、フラメンコの練習とか、高齢者施設で使う歌の練習とか、music together のクラスの準備とか、色々 やりたいこと 一杯あるのですが~。。。




# by totoatsuko | 2012-04-16 10:07 | Trackback | Comments(0)
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音楽心理療法士(GIM)のつれづれ


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